【まとめて読む】患者を生きる・職場で「2型糖尿病」
パティシエの松本祥宏(まつ・もと・よし・ひろ)さん(41)は職人になった直後、2型糖尿病になりました。甘いものは食べられない? パティシエは続けられない? そんな逆境をどう乗り越えたのか。そして、病気になったからこそ、お菓子づくりに生かせたこともありました。
パティシエ、高血糖で入院
松本さんがパティシエになったのは、28歳のときだった。
芸術系の大学を卒業したが、絵の仕事だけでは食べていけなかった。静岡県内の飲食店でアルバイトをしていたとき、一緒に働く先輩の娘がパティシエをしていると聞いた。「お菓子なら、芸術に通じるところもある。面白いかもしれない」
昼は仕事をし、夜は3時間ほど製菓の専門学校に通った。1年後、浜松市内の洋菓子店に就職。同じ職場の新人たちは、専門学校を卒業したばかりの20歳前後が多かった。彼らに比べて遅いスタートだった。「早く成長しなきゃ」という焦りがあった。
商品の味を覚えるため、つくったクリームや売れ残ったケーキなどを、毎日食べて研究した。休日もスイーツを食べ歩いた。体も心も、休めている気はしなかった。
一方、食生活は乱れていた。一人暮らしで自炊していたが、野菜はあまり食べなかった。白米が好きなこともあり、おかずとご飯だけの日も多かった。仕事が忙しく運動不足も続き、気がつくと171センチの身長で、体重は100キロ近くになっていた。体調を崩す日が増えた。
そんな日々が1年ほど続いたある冬の朝。目が覚めると、手がしびれて動かせなかった。関節を曲げるだけでも痛む。
「これまでの体調不良とは、何か違う」。近くの医療機関を受診したが、原因はわからなかった。いったん痛みはひいたものの、体調は回復しなかった。「仕事に支障が出る」と店を辞めた。
京都市の実家に戻ったが、体調は相変わらずだった。ある日、朝食を食べた後、市内の病院を受診した。血液検査の後で、内科の医師に呼び出された。「血糖値の数字がかなり高いですね」。基準を上回る300(デシリットルあたりのミリグラム)以上だった。2型糖尿病と診断された。
甘いものはもう食べられない? パティシエにも、もう戻れない? 不安が頭をかすめるなか、医師から告げられた。「今日からすぐ、入院してください」
バイト募集の菓子店へ
「この仕事は続けられないね…
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連載患者を生きる
この連載の一覧を見る- 戸田政考(とだ・まさとし)朝日新聞記者
- 科学医療部記者。再生医療やゲノム編集などの基礎医学に面白さを感じ、現在は医療全般を取材。気候変動問題もライフワーク。フットサル年50回が目標。テンションとコレステロールは高め。