(聞きたかったこと 広島)目にした「全滅以上」

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燧(ひうち)正典
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 阿部磨智恵(まちえ)さん(94)は74年前、因島(現・広島県尾道市)の病院で働いていた。原爆投下の翌日、広島市に学徒動員されていた弟が、すすだらけの顔で足にガラスが刺さったまま島に戻ってきて言った。「広島が全滅したで」。看護婦として救援活動で広島市に入り、「全滅以上」の光景を見た。そのときの記憶と、平和への思いを聞いた。

     ◇

 1925(大正14)年、大阪で生まれた。尋常小学校1年の頃、母の実家がある因島に引っ越した。温暖な土地ですくすく育った。日立造船株式会社因島病院(現・因島総合病院)で働く看護婦になった。

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 45年8月6日は当直明けだ…

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