本木雅弘が語る魯山人 「面白がる」希林さんとの共通点

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聞き手・山内深紗子
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 俳優の本木雅弘さん(54)には、演じることや生きることへのヒントを得てきた芸術家がいます。北大路魯山人。縁をつくったのは、一昨年亡くなった俳優の樹木希林さんでした。その義母と魯山人には、共通点があると感じているそうです。あるがまま、面白がる境地が似ている――。その魅力について語ってもらいました。

きたおおじ・ろさんじん 1883年、京都市上賀茂神社の神職の家に生まれる。本名房次郎。書家や篆刻家として才能を開花させ、陶芸や絵画にもジャンルを広げた。京都や金沢などで料理への見識を深め、1925年、東京・赤坂に会員制高級料亭・星岡茶寮を開設。晩年は鎌倉に釜をつくり、作品づくりに没頭した。59年に死去

精巧さと大胆さに衝撃

 魯山人の晩年の境地を表す言葉に「无境(むきょう)」があります。号として使っていたものです。「境が無い」。私には、「思うがまま」と読めます。

 そして、義母の樹木希林が常々言っていた「面白がる」という境地とよく似ていると思うのです。

 私にとって当初、魯山人といえば、無造作な印象の器を自分でもつくる料理人、白髪で短髪の丸眼鏡をかけた気難しそうなおじさん、でした。

 それが24年前、義母の樹木希林が通い続けた何必館・京都現代美術館で魯山人の作品に出会い、変わっていきました。

 魯山人は、あらゆる形で美の追究をしていたことを知りました。書から始まった人で、例えば小さな文字で漢詩がびっしりと刻まれた篆刻(てんこく)のびょうぶ。その精巧さに驚きました。一方で桃山時代をほうふつとさせるつばき鉢の大胆さ。すべて同じ人が生み出したものなの?とキツネにつままれたようでした。すごく無造作だった印象が、一気に幅が広がったというのが、最初の衝撃です。

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 その後折に触れて京都を訪れ…

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