「どっちみち皆、破滅」吾妻ひでおの精神 山本直樹さん

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戸田拓
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 不条理ギャグや美少女マンガで一時代を築き、ブランクの後に放浪生活体験をマンガに昇華した「失踪日記」で復活、数々の賞を受賞――。マンガ界に多くのフォロワーと大きな影響を残した吾妻ひでおさんが10月に世を去りました。熱烈なファンで自らベスト選集の編集にも当たった、同じ北海道出身のマンガ家・山本直樹さんに、作品の魅力や吾妻さんへ寄せる思いを伺いました。吾妻さんを「日本マンガの正統」と見る理由。選集完成の打ち上げで行ったカラオケで、山本さんが贈った歌の題名。日本のサブカルチャーを語る上で欠かせないキーワードとなった「萌(も)え」は吾妻さんとどう関わっているのか……などなど、約1時間にわたったインタビューをお届けします。

 ――吾妻マンガとの出会いを教えてください。

 僕は北海道福島町で生まれ、教員の両親と道南を転々と引っ越していました。吾妻さんとは10歳違いです。

 最初は、少年チャンピオンに連載された「エイト・ビート」。小5のときかな。学級文庫、というと聞こえはいいけどみんなが読まなくなったマンガ本が教室の後ろに積んであったんですよ、結構たくさん。その中で見つけて「これは面白いな」と。絵は可愛いけど、ストーリーはぶっ飛んでいた。登場人物の会話が大人っぽくて、「私Mなのよ」とか小学生にわからない言葉が出てくるところも、背伸びしたい年頃には魅力的でした。眼鏡の婦人警官でSキャラというのが出てきて、それが可愛かったなあ。

 でも、続く「ふたりと5人」(少年チャンピオン連載)は、ご本人もインタビューで「適当に描いていたら売れちゃった」と語っていたように、割と書き飛ばしている感じがあって関心は薄れました。その後改めて吾妻さんにハマったのは「やけくそ天使」(プレイコミック連載)とかで好き勝手やり始めてからですね。久しぶりに読んだら、吾妻さんすごいことになっているなあ、と思った。そのあたりから僕の同世代のマンガマニアな人たちが吾妻さんに気づき始めました。

 ちょうど小学館秋田書店などがマンガ文庫を始めた頃でした。それまでマンガは雑誌で読むものだったのが、少し前のクラシックな作品、つげ義春さんとか白土三平さんとか、山上たつひこさんの「喜劇新思想体系」とか、少女マンガでも萩尾望都さんや竹宮恵子さんの作品がまとめて読めるようになり、そんなに古くはないけどマンガの「古典」というものが成立してきた時期です。それらと共にリアルタイムに発表された吾妻さんの作品は「自分の好きなもの」代表格、みたいな感じでした。

スピードと逸脱、日本マンガの正統

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 ――吾妻作品のどういうとこ…

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