求めるのは金メダルじゃない 岡田武史さんの東京五輪論

聞き手・後藤太輔 編集委員・稲垣康介
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 あと8カ月後に迫った東京五輪パラリンピックを、日本人が「自立」するきっかけにしよう――。元サッカー日本代表監督の岡田武史さんは、こう訴える。スポーツの祭典に求めたいのは、競技場の建設でも、日本選手の金メダルでもないという。日本代表の監督を2度務めた名将はなぜ、そう考えるようになったのか。

自分の意見を言わなかったアスリート

 ――東京五輪のマラソンコースが札幌に変わるなど、五輪開催をめぐる混乱が続いています。

 「東京都や大会組織委員会は、自分たちの意思をはっきりと言うべきだったと思うけどね。アスリートも主体的に自分の意見をほとんど言わなかった。それこそ自立していないというか」

 ――一方でラグビーのワールドカップ(W杯)は、予想以上に盛り上がりました。

 「ラグビーの日本代表選手は、主体的に判断してプレーできていたんじゃないかなあ。これが良い引き金になり、五輪やパラリンピックも盛り上がって、多くの人がスポーツの価値に気づいてくれれば、と思うね」

 ――つまり、少なくともラグビーの選手は自立していたと。

 「ラグビーは試合が始まると、監督はスタンドにいるので選手に判断が任せられる。サイドラインで監督が声を張り上げ、指示を出せるサッカーとは違う。それに、今回のチームは外国出身選手も多かった。だから、自立心が芽生えやすかったと思うんだよ。言われたことをこなすだけではなく、常に自分の内なる欲求や意欲で、自主性を発揮できるような選手が日本でもどんどん育ってほしい」

 ――サッカーは違うのですか。

日本人はなぜ自立できないのか、どうしたら自立できるのか。記事後半で岡田武史さんがさらに思考します。

 「主体的にプレーできるやつはいるよ。何人かは。中田英寿なんかは典型だと思うし、遠藤保仁もそういう面を持っているし。ただチーム全体となると、なかなかそうはいかない。2006年W杯のジーコ、14年W杯のザッケローニの両監督時代の日本代表は力があったのに、初戦で逆転負けすると、チームを立て直せなくて1次リーグで敗退してしまった。力を出し切れなかった」

 ――岡田さんが監督のときはどうだったでしょう。

 「1998年のフランス大会は別としても、2010年南アフリカ大会は、外からたたかれて、その後に開き直る外圧のおかげという面があった。反発心で出る主体的な力は短期間では効力があるけれど、長続きしない。本来は、自らの勝ちたい、勝つことが楽しいという内発的欲求で力を出せるようなことが真の自立だと思う」

親のサッカー応援、ドイツとの違い

 ――子どもの育て方の違いなど文化的な背景もありますか。

 「たとえば子どものサッカーを応援する親の態度が、日本とドイツでは全然違う。特に負けた後が違う。日本の母親は『あんた、なんであそこであんなことしたの』とか、『こうすれば良かったのに』と、悪かったところを悔しがる。ドイツでは、負けて帰ってきた子どもを『良い試合だった!』と抱きしめるわけ。勝つために全力をつくすことが大事で、その上で負けることは悪いことじゃないんだと。だから子どもも、勝つために主体的に判断してプレーするんじゃないかなあ」

 ――学校でも、先生が子どものダメなところやミスを指摘して、指図で従わせる傾向を感じます。

 「そんな学校には、これからの子どもは行かなくなるでしょう。学校に行けない子が、本当に今の社会の落ちこぼれなのか。社会の方が、適応できていないんじゃないか。通信制のN高が人気だけど、その理事が言うには、そこに通う子どもは落ちこぼれではなく、優秀すぎたり何かに特化したりして自分の生き方を選択している、上からの『ふきこぼれ』だと。スポーツもそういう人をいかすよう変わらないといけないけど、現状はそうなっていない」

 ――なぜ日本人は自立できないと思いますか。

 「一度も市民革命を経験していないから、とはよく言われるね。『お上(かみ)に従っていたら間違いない』というのが染みついている。自分たちで勝ち取った民主主義とか、自分たちで勝ち取った自由とかという発想がないから、会社でも命令された仕事をこなすようになる。仕事なんて、自ら探すべきだ。今の日本で、自分たちで何かをやっているという実感を持てる人って少ないんじゃないかなあ」

原則を教えるのは16歳までに

 ――スポーツを通じて自立した子どもを育てるという取り組みを、今治で実践していますね。

 「日本のサッカーは、『子どものときは教えすぎず好きにやらせろ』と言っておいて、高校生になると、いきなりチーム戦術を教えこまれる。だから言われたことはできるけど、思い切った発想が出ない、自分で判断できないと言われるのではないだろうか。そうじゃなくて、原則みたいのを16歳までに教えて、後は自由にする。そうしたら、自立した選手が出てくるんじゃないかと思っている」

 ――なぜ、そこまで自立を求めるのですか。

 「まずは本当に世界で勝つために必要だと思うから。それと共にこの国にはリーダーではなく、自分で決めて自ら行動するような自立した国民が必要なんだ。ところが同調圧力なのか、何かに従っているほうが安泰で、とがったことはしないほうがいいという雰囲気になっている」

 「スポーツ界でパワハラがなくならないのも、選手が自立していないからだと思う。コーチの言いなりのほうが短期的にはいい結果が出る。社会でも、どう考えてもおかしなことがまかり通るくらい、人が自立していないんだよ」

 ――おかしなことが、まかり通っていますか。

 「たとえば日本って今、貧困なんだよ。子どもがいる一人親世帯の相対的貧困率は5割と、主要国の中で最悪のレベル。それなのに、みんな関心ないじゃない。『日本人は素晴らしい』という本が書店に並んでいるけれど、日本人の多くは自分の生活が来週、どうなるかで頭がいっぱい。日本だけでなく、世界中で、その場しのぎの経済政策をやれば、文句を言わないという国民が増えている」

 ――本当にそうでしょうか。

 「俺はね、学生結婚して、かみさんと2人で6畳一間のアパートで生活してたわけ。かみさんがアルバイトしても、会社の50円のコーヒーも飲めなかった。日本代表に選ばれたらサラ金でお金を借りたよ。そのころの2人の合言葉は、『幸せはお金で買えるよね。お金持ちになりたいね』だった。だから自分の生活しか考えられないのはわかるし、社会が複雑になってきて、自分のこと以外考えられなくなってきているのかもしれない」

目に見えない資本にお金を回すため

 ――結局、ゆとりがない日本で変化は期待できないのでは?

 「こういう世の中で、スポーツができることは何かを考えている。スポーツって、売るものの形がなくて、感動や共感、夢とか、目に見えない資本を売っている。今は株価を上げるためにお金を回すほうがいいという民意があるから、施設とかにはお金をかけるんだろうけど。もっと目に見えない資本にお金を回していくような社会を作りたい。そういうきっかけに、五輪はなれる可能性がある」

 「それなのに、現状では大義が伝わってこないよね。経済効果や国威発揚ではない、新しい価値を社会にもたらすんだという理念を持つべきだ。本来なら招致の段階から夢を描くべきだった」

 ――どういうことでしょう。

 「経済的な豊かさだけではなく、心の豊かさのように、目に見えないものを社会にもたらそうということかな。知り合いの田坂広志さん(多摩大学大学院教授)のいう、人を育てることや、信頼といった『目に見えない資本』が経済を回す時代が来ていると思う。低成長時代に入り、24時間働いて、たくさんお金を稼げという時代でもない。グローバル化はもう後戻りできない上に、AIが進化していく中で、人間って何なんだということが問い直されている」

 「90歳を超える人が多い健康長寿の地域を調べたら、食べ物や医療体制がいいわけではなく、ストレスの少ない、良好な人間関係が共通してあったそう。人間は何かに没頭して挑戦し、助け合って苦難を乗り越えられたときにも幸せを感じるんだよ。次の五輪後、ただ単にスポーツが盛んになるだけではいけない。さらに次のステージに向かいたい」

 ――なぜそう考えるようになったのですか。

 「今治に行く前は、サッカーの新しい育成法を試すことが一番の目標だったんだけど、経営者になって初めて気づいたことがあった。生きがいがあって、人と人との絆がある。稼ぐことだけに振り回されず、人間らしさを取り戻したい人が住み着く地域、街づくりをしたいと思うようになったね」

 ――具体的にはどのように?

 「まずはスタジアムをにぎわいがありワクワクする場所に、そして新しい出会いがあり絆ができる場所にしたい。将来的にはスタジアムの場所が里山のようにどんどん緑豊かになっていき、心のより所として365日人が集う場所になるといいね。そのためにも一人親家庭の月謝を無料にしたり、育成の子どもとコーチで何でも手伝うという孫の手活動をしたり、バリチャレンジユニバーシティーという大学生のワークショップをしたり、小さなできることから始めている。子ども食堂もやりたい」

元気や勇気、届けるだけでは寂しい

 ――五輪をきっかけに自立なんて、本当にできるのでしょうか。

 「スポーツ関係者が主体性を持てないのに、ちゃんちゃらおかしいと言われるかもしれない。でも、基礎を作るくらいはやってみたい。例えばだけど、五輪で世間の注目が集まるタイミングで、スポーツ界が社会課題にアプローチしたり、社会貢献活動をしたりしてみてはどうだろう。少なくとも、競技団体や選手が社会を直視し、おかしいことを伝えることはできると思う」

 ――日本選手がいい成績を出して、「元気」や「勇気」を届けるだけではだめですか。

 「それだけではあまりにも寂しい。日本には能力あるアスリートはたくさんいるし、人格的に良い人が多い。そういう人たちが自分の考えを発信するようにならないといけない。日本の選手はスポーツ英才教育で大学まで行き、社会に触れ合わないまま。ただ、それは選手だけの問題ではないかもしれない。日本人全体が、社会のありようを自分の言葉で語ろうとはしないよね」

 ――社会を変えるきっかけに使うということですね。

 「『平和のために国籍を超えた絆づくりをする』とうたってもいい。競技ごとにファンフェスタのようなものをやり、国の枠にとらわれない人同士の絆が生まれる試みをするんです。開会式での国別の入場行進はやめる」

 ――自国第一主義が幅を利かす中、うまくいくでしょうか。

 「FC今治では、韓国や中国の小中学生を招待して大会を開いている。大会前に国籍混合でフットサルをしている。最初はぎこちないけど、勝って負けて真剣に一緒にプレーすると、翌日の朝に中国人が韓国人と日本人に声をかけて散歩するようなことが起こるんだよ。今はスマホを使って会話するから言葉に困らない。今治での取り組みは規模は小さいが、五輪で『絆』とか『つながり』ができるような活動ができれば、影響力は大きいと思うね」(聞き手・後藤太輔、編集委員・稲垣康介

     ◇

 1956年生まれ。元日本代表。代表監督としては98年W杯に日本を初出場に導き、2010年W杯で16強。来季J3に昇格するFC今治の会長。

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