万歳が作ったナショナリズム 日韓隔てる無意識の優越感

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太田啓之
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 スポーツで日本代表の活躍に一喜一憂し、歴史認識問題で海外から批判されると、少なからぬ人々が自分のプライドまで傷つけられたように感じて憤る――。私たちの自我は、自分でも意識できないほど深く「国」と結びつき、私たちの言動に強い影響を与える。「ナショナリズム」と呼ばれるこの現象は、いつ生まれ、私たちをどこに導くのか。

国民国家、個人のアイデンティティーを独占

 自国への強い思い入れは、国家間のあつれきや衝突を生み、日韓関係悪化の一因にもなっている。『ナショナリズムの受け止め方』などの著書がある塩川伸明・東京大名誉教授(政治学)は「人間はさまざまな集団に対して自らのアイデンティティーを感じているが、近代社会では国民国家がそれを独占しやすい。戦争などの非常時には、家族さえ国家の背景に退いてしまう」と指摘する。

 確かに私たちの多くにとって「自分は日本人」というのは疑う余地がなく、遠い先祖もそうだったと思いがちだ。

 けれども、過去数十年の研究によれば、私たちの実感とは逆に、日本を含む世界中の人々が自国への強い帰属意識を持つようになったのは、近代化が進んだ18世紀後半から20世紀にかけてのことで、人為的に作られた面も大きいとされる。

 福沢諭吉は1875(明治8)年、著書「文明論之(の)概略」で「日本には政府ありて国民(ネーション)なし」と喝破した。「学問のすすめ」でも、少数のエリート層を除く人民の大多数が、国のことに無関心な「客分」のままであれば、外国と戦争が起きても戦うどころか逃げ出しかねないと危惧している。

「客分」の大衆を「国民」にしたイベント

 明治維新まで自らの身分や土地に縛られ、政治への関与も禁じられていた「客分」の大衆が、どのようにして「本国のためを思うこと我が家を思うがごとし」(「学問のすすめ」)である「国民」へと変容していったのか。

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