母の病、息子にも壮絶な差別 「賢、ごめんね」流した涙

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関口佳代子
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 沖縄県に住む男性は71年前、生後わずか95日で母親と引き離された。子どものころに会えた記憶は、わずかに2回。ずっと壮絶な差別に苦しめられてきた。「もう誰も、自分たちのような思いをしてほしくない」。男性はそう願っている。

 男性の母は、国の政策で社会から隔離されてきたハンセン病の元患者。男性のように家族の離散を強いられるなどした元患者の家族が損害賠償と謝罪を国に求めた訴訟で、熊本地裁は6月に国の責任を認めた。この判決をきっかけに、家族1人あたり最大180万円を支給する補償法が15日に成立した。

 男性は、家族訴訟で原告の一人だった沖縄県東村の宮城賢蔵さん(71)。「(家族への)補償は、最低限のおわびの気持ちの表れ。ひと区切りにしたい。ただ――」。補償法を評価しつつ、複雑な思いも口にした。「金を払って済む話ではない。どんなに苦しかったか……」

 宮城さんが母親(94)と引き離されたのは、生後95日のときだった。どうして母親がいないのか、生きているのか、家では誰も話をしない。写真を見たこともなかった。事情がわかったのは、周囲からの差別がきっかけだった。

 「くんちゃーの子」

 近所の人や友だちから、ハンセン病患者をさげすむ言葉で呼ばれ、床屋に行っても「うつるから」と、使い捨てのさびたカミソリで髪をそられた。学校では、風下に座らされた。そのうち、母親が現在のハンセン病療養所「沖縄愛楽園」(沖縄県名護市)に入所していることを知った。「母親はいないのが当たり前。差別におびえてばかりで、寂しいと思う余裕もなかった」

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 父親は、母親がいない寂しさ…

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