「助けてあげたかった」 台風1カ月、被災地で悼む朝

有料記事台風19号

窪小谷菜月 小手川太朗 床並浩一
[PR]

 台風19号が上陸してから、12日で1カ月を迎えた。突然失った家族、友人、地域のつながり――。記録的な大雨の爪痕が深く残るなか、各地で亡き人を思い、手を合わせる姿が見られた。

 宮城県丸森町の子安地区。台風19号で住宅が流された跡にはいまも、巨大な岩や流木が散らばる。この家には、大槻竹子さん(92)と娘の利子さん(70)が暮らし、娘の小野正子さん(63)とその夫の新一さん(67)が避難していた。正子さんは行方がわからず、3人は遺体で見つかった。

 午前10時ごろ、近所の人たちや親族が現場を訪れ、玄関だった部分の土砂をかき分け、お茶や花束を手向けた。近くに住む大槻次子さん(72)は10月12日午後9時ごろ、利子さんらと電話で話した。「『大丈夫』って利子さんが言ったのに。こんなことになるなんて」。線香を置いた途端、あふれ出した涙をぬぐった。

 12日夜、近くに住む親族の大槻武光さん(50)は、自宅の真上でヘリコプターが旋回するような「ゴゴゴゴ」という地鳴りに驚いた。続いて「ガッシャーン」と金属がぶつかるような大きな音が響いた。外へ出ると電柱が倒れ、道路は引っ張られたようにゆがんでいた。雨脚が強まり、濁流が川のように庭を流れる中、自宅2階で一夜を明かした。

 翌朝、周囲の被害を確認するため外に出た。自宅前の坂を下りたところで足がすくんだ。昨夜まであったはずの竹子さんらの家が、土台をわずかに残して土砂に流され、跡形もなくなっていた。

 武光さんは、長男の光さん(23)夫婦と、10月に生まれたばかりの初孫と同居するために自宅を改築。3人が引っ越してきて2日目の夜だった。「玄関で『竹子さーん』と呼ぶと、いつもおばあちゃんが出てきてくれた。家がなくなると、4人がいなかったかのようになってしまうのがつらい」と振り返り、悔しさを募らせる。「音がしたときにもう少し奥まで見に行っていれば、土砂崩れに気づけたかも知れない。助けてあげたかった」

ここから続き

 一帯は一時孤立し、武光さん…

この記事は有料記事です。残り463文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら