「断酒か死か」アルコール依存症と格闘 やがて不眠に…

有料記事患者を生きる

北林晃治
[PR]

【まとめて読む】患者を生きる・眠る「アルコール」

 「否認の病気」とも言われるアルコール依存症東京都の男性(53)は若い頃から酒が手放せない生活を送り、家族や職場を巻き込んでいました。アルコール依存症と診断されてからも冷静に自分を見つめることができず、入退院や休職を繰り返します。その男性が変わるきっかけとなったのは何だったのでしょうか。

朝から酒「病気じゃない」

 酒に溺れて破滅する。そんな洋画の主人公にあこがれていた。

 男性が初めて酒を飲んだのは、中学生の頃だ。家にあったウイスキーを遠足の水筒に隠し入れて持参し、友人の前で飲んだ。高校生になると、昼食代で小瓶のウイスキーを買うようになり、飲む頻度は増えていった。

 高校を卒業し、7年ほどアルバイトをしていた。就職したのは1992年。そこから、さらに酒量は増えた。

 仕事が終わると、職場近くの酒屋に駆け込んだ。フルボトルのワインやウイスキーを買うと、家に帰るまで待てず、その場で瓶をあけた。自宅に帰る電車のなかでも飲み続け、自宅でも飲み足らず、いつも酒がそばにあった。

 「飲まなければ寝られない」。そう自分に言い聞かせ、酒をのむ口実にしていた。

 二日酔いで出勤し、朝起きられずに無断欠勤することが続いた。休日に酔った勢いで部下に電話をかけ、仕事の指示をしたことが問題になったこともあった。

 妻(62)から酒をやめるように何度も説得されたが、「うるさい」と聞く耳を持たなかった。

 2007年、妻が精神的に不安定になり、精神科に通院するようになった。それでも酒がやめられず、「妻に見られなければ」と隠れて外で飲むようになった。

 10年3月、職場の勤務先が東京都内から千葉県内に変わり、責任ある役職を任された。最初は張り切っていた。しかし、酒の臭いをさせたまま出勤し、次第に空回りするようになった。職場になじめず、ストレスから、仕事がない日も朝から酒を飲み続けた。

 見かねた妻が、職場の知り合いに電話で「何とかならないか」と相談した。「業務に支障が出ている」。上司からそう連絡を受けた職場の保健師に「アルコール依存症の専門の医療機関で診察を受けるように」と言われた。事実上の業務命令だった。

 「自分は病気ではない」と思っていたが、職場でも家庭でも行き詰まった現実から逃れたかった。成増厚生病院東京アルコール医療総合センター(東京都板橋区)を受診することを決めた。

これ以上酒が飲めない体、入院し治療

 「あなたはこれ以上、お酒を飲めない体です」

 成増厚生病院東京アルコール…

この記事は有料記事です。残り3358文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら

北林晃治
北林晃治(きたばやし・こうじ)朝日新聞記者
科学医療部記者。02年入社、北海道報道部、さいたま総局、東京本社生活部、社会部、特別報道部などで医療など社会保障分野の取材を担当。