スポーツは報復の連鎖にならない 被爆地で戦う森保監督

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聞き手・吉田純哉
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 サッカーの東京五輪代表の国内初となる試合は、二つの被爆地を舞台に組まれた。11月に広島、12月には長崎だ。そのことに人一倍の思いを抱くのが、日本代表と東京五輪の監督を兼ねる森保一さん。父が被爆の記憶を持つことから「被爆2世」を自覚する。五輪で世界に発信したいと願う平和への思いは、どう培われたのか。

 ――長崎と広島、どちらもゆかりが深いですね。

 「人生のほとんどを過ごしました。長崎市内には小学1年に移り住んでから高校卒業までいました。広島は社会人になってから30年近く、人生で一番多くの時間を過ごしました。戦争で原爆が使われた、世界で二つしかない被爆地です。長崎の小学校時代、8月9日は夏休みでも登校日で、追悼の祈りを捧げました。いまでも8月6日、9日には黙禱(もくとう)をしています」

 「この二つの土地で、私が監督をする東京五輪代表のチームが試合をして、平和の祭典、五輪に向かう。サッカーを通して平和への思いを発信するために試合会場が決まったと受け止めています。めぐり合わせというか、運命というか。大げさに言うと、自分が平和の発信をしないといけない。それが使命かなと思っています」

 ――平和の発信という使命感はずっと持ち続けていたのですか。

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 「若いころは強くありません…

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