IS追い詰めた軍用犬、日本にも 紙吹雪舞った出征式

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戸田拓
【動画】北海道での軍用犬の出征式の様子を伝えるアサヒコドモグラフ=1939年上映
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 シリアで過激派組織「イスラム国」(IS)の最高指導者アブバクル・バグダディ容疑者を追い詰め自爆させたのは、米軍特殊部隊の兵士ではなく、軍用犬だった。トランプ大統領はツイッターで、この犬の写真を公開し、世界中を驚かせた。遠い海外の出来事と思うかもしれないが、80年前、日本も犬を戦場へと送り込み、積極的に活用していた。このほど、そんな歴史をひもとく、一つの映像が見つかった。

軍用犬の隊列、紙吹雪舞う

 「祝出征」。のぼり旗を掲げた隊列が繁華街を行進する。沿道の百貨店の窓からは紙吹雪が舞い、日の丸の小旗を持った店員の顔が並ぶ。バンザイする人々の前を、犬たちを中心に据えた隊列は足早に進んでいく――。太平洋戦争日中戦争のさなか、1939年に北海道小樽市で撮られた映像の一コマだ。

 こんな光景が記録されていたのは、朝日新聞社が戦前に制作した「軍用犬の出征」というタイトルの子ども向けニュース映画だ。ナレーションは犬たちをこう持ち上げた。

 「戦地で兵隊さんたちにまじってたくさんの手柄を立てている軍用犬。これは北海道のある街から出征した軍用犬たちの勇ましい姿です」

場所は小樽、当時は「北のウォール街

 戦前の小樽は北海道の交易や金融の拠点として栄え、銀行や商社などが軒を連ねていた。世界の金融センター・ニューヨークのウォール街をなぞり「北のウォール街」と呼ばれていた。

 パレードは、小樽の総鎮守で、いまも多くの祭事が執り行われる住吉神社を出発。国道や商店街を抜け、大勢の観衆が待つ目抜き通りの交差点を小樽駅に向けて左折するコースを取ったらしい。映像には当時の中心市街地のにぎわいが記録されている。

1939年、ノモンハン事件直前

 撮影日は1939年5月上旬、大陸で日本軍とソ連軍などが衝突したノモンハン事件の直前とみられる。東京朝日新聞の北海樺太版は翌々日紙面で写真2枚を付けて「颯爽(さっそう)たる勇姿 軍用犬が晴れの壮途へ」と報じた。軍用犬協会の機関誌は、翌月号で小樽市長が激励に訪れたこと、小樽駅での式典で尋常小学4年の女子児童が読み上げた作文などを紙幅を割いて載せた。

軍用犬、注目のきっかけは

 軍用犬とは、軍隊での伝令・捜索・警戒などに適した犬を指す。

 注目されたきっかけは、第1次世界大戦だ。毒ガスや戦車、飛行機が新兵器として登場するなか、欧州各国は、犬も積極的に戦場に送り込んだ。戦場で負傷した兵士を捜索し医薬品を届けたり、救護班を導いたりする「衛生犬」などが登場。犬が戦争で「使える」ことを示した。

 欧州の戦場での活躍を知った日本陸軍は「軍用犬研究班」を設置。31年の満州事変では関東軍の軍犬隊が出動し、死亡した犬の話は、戦意高揚のため大幅に脚色されて小学校の国語の教科書に載せられた。

 日本陸軍はジャーマン・シェパード、エアデール・テリア、ドーベルマンの3犬種を指定。軍の肝煎りで設立された社団法人・帝国軍用犬協会などの取り次ぎで、民間から買い上げられたり献納されたりした。

5万匹~10万匹が戦地へ

 日本陸軍は部隊ごとの軍用犬の定数や管理規則を詳細に定め、太平洋戦争中に約1万匹の犬を所有していた(新人物往来社「日本陸海軍事典」)とされる。「日本の戦争と動物たち」(汐文社)の著者で東京都歴史教育者協議会会長の東海林次男さん(68)は、37年の盧溝橋事件を機に勃発した日中戦争から太平洋戦争終戦までの8年間で、5万~10万頭の犬が戦地に赴いたとみる。

 中国大陸に派遣された犬たちは、警備や哨戒、伝令などの任務を与えられたほか、陣地設営に動員された中国人労工の見張りなどにもかり出されたという。昨年中国・東寧県を訪れた東海林さんは旧日本軍要塞(ようさい)跡で、日本の軍用犬が労働者をかみ殺したことを伝える説明板を目撃している。

生きて戻ることはなかった

 日本から華々しく送り出された軍用犬たちのその後について、残された記録は多くない。ただ、戦場での生活は犬にも過酷だった様子はうかがわれる。関東軍の将校機関誌「完勝」第23号(45年5月発行)に掲載された論文は、「軍犬は管理が難しく病気にかかりやすい……生存年数平均は4年1カ月、部隊における使役期間は2年4カ月に過ぎない」との統計を紹介している。

 国外に配備された軍用犬たちは終戦時、復員船に乗ることはかなわず、ほぼすべてが飼い主の元に戻れなかったとみられる。現地で引き取られた犬もいたが「食糧不足で食用に供された犬もあった」(東海林さん)という。91年に中国・山東省済南市で出版された書籍「侵華日俘大遣返」(中国侵略した日本人捕虜の大送還)は、優秀な犬を接収した国民党軍が再訓練を試みたが、犬たちは日本語の命令以外は一切聞かなかったため、ほとんど殺処分された、とする逸話を伝える。

ドラマ化もされた2010年の小説「さよなら、アルマ」。執筆当時わからなかった軍用犬アルマの飼い主がわかりました。記事後半は、1枚の写真に込められたエピソードをたどります。

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■「さよなら、アルマ」…

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