「命のビザ」から80年 深まる日本とリトアニアの縁

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大久保貴裕 竹下由佳 聞き手・竹下由佳
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 第2次世界大戦中、外交官の杉原千畝(ちうね、1900~86)がリトアニアユダヤ人に「命のビザ」を発給してから来年で80年。24日には、同国の国家元首が初めて杉原の出身地である岐阜県を訪問した。これまで民間交流を積み重ね、来年には両国政府が記念行事も予定する。杉原の功績がつないだ日本とリトアニアの関係は、今も深まっている。

 天皇陛下の「即位礼正殿の儀」の参列で訪日したリトアニアのギターナス・ナウセーダ大統領が24日に向かった先は、岐阜県八百津町の杉原千畝記念館だった。

 自ら文案を考案した平和メッセージプレートの除幕式に参加。日、英、リトアニアの3カ国語で「すべての人々に平和と調和を」と書かれた石碑の前で「杉原の生き様こそリトアニア人と日本人にとって忘れがたい。友好と協力を深めていきたい」と語った。

 日本から約8千キロ。杉原の功績の縁で両国の関係はこれまで深まってきた。

 杉原がビザを発給した旧領事館は今も、首都ビリニュスから車で1時間の小高い丘の住宅街に残っている。戦後、民間人が居住していたが、地元の実業家らが20年前に買い取り、現地の「杉原記念館」としてオープン。杉原が決断した当時の執務室を再現し、ビザの複製やタイプライターのほか、救われたユダヤ人の足取りを伝えるパネルなども展示されている。

 ただ、記念館は入館料4ユーロ(約480円)と寄付金で運営してきたが、資金不足で雨漏りなどの老朽化の修繕ができず、長く存続の危機が続いていた。

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 これを支援したのが、杉原の…

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