(小説 火の鳥 大地編)30 桜庭一樹 君は、終身刑の愛の強奪犯さ

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 二回目の一八九〇年において、ぼくは政治の勉学に励んだ。金曜の夜は、前と変わらず、銀座の檸檬(れもん)茶館で食事をした。

 父は、一回目の世界でビール製造販売業への投資に失敗した教訓を生かし、二回目の世界では別の事業に投資した。昨今人気の紙巻(かみまき)煙草(たばこ)の製造販売業だ。父は売れ筋の“鬼瓦煙草”という銘柄に全財産を賭け、順調に資産を増やした。“鬼瓦煙草”の創業者は大阪出身の元浪曲師道頓堀鬼瓦。ヒョットコのような顔をした痩せた男で、浪花節の腕はよくなかったが、商才はあった。父とも親しくなり、日本橋の三田村家によく遊びにきた。

 資産が増えるにつれ、客間の調度品も日に日に豪華になった。木彫りの熊と鮭(さけ)、甲冑(かっちゅう)、鷲(わし)の剝製(はくせい)、鹿の首、地球儀……。そしてある日、父が「要造。買い戻したぞ」と誇らしげにとあるものを見せてきた。元は武士だった父が、身分制度がなくなったときに手放した、日本刀……。床の間に飾り、ぼくと肩を組んで、父は長い間、黙って刀をみつめていた。

 そして二年が過ぎ、再び一八九二年の春がきた。

 ぼくは、記憶にあるその日、朝から落ち着かず、そわそわしていた。夕方早めに檸檬茶館に行った。いつも通り、夕顔さんがフロアで働いていた。でもしばらくすると、裏口辺りで誰かと揉(も)め始めた。女店主も「何の騒ぎだい?」とぼやきながら出てきた。

 夕顔さんと言い合いをしているのは、二人組の男だった。どうやら夕顔さんの実家は、広島の旧家で、代々の長子が不思議な力を継ぐ“千里眼”の家系らしい。ところが長子が双子として生まれ、不吉だからと、姉の朝顔だけ残し、妹の夕顔を捨ててしまった。だが先日、姉が顔に大怪我(けが)をしたため、妹と取り替えようと、東京まで探しにきたのだ、と……。

「いまさら何さ! 一度に二人も子供を持てるなんて幸運なのに。こんどは姉ちゃんを捨てる気かい!」

 と、夕顔さんが顔をびしょびしょにして泣いた。女店主ももらい泣きしている。そこに、カララン……と表のドアが開く音がした。制帽に学ラン姿の森漣(れん)太郎くんが、マントをひるがえして颯爽(さっそう)と入ってきた。

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 ぼくはあわてて夕顔さんと男…

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