最速取締役からの左遷人事 本社のポストより大切なもの

有料記事カイシャで生きる

古屋聡一
[PR]

 「私のビジネスマン人生は終わったな」

 大手化学メーカー、東レの取締役だった佐々木常夫さん(75)は58歳のとき、思った。

 東レ経営研究所の社長に就く辞令を受けた。副社長経験者も就任するポストではあったが、同期の中で最も早く取締役に昇進してから、わずか2年しか経っていなかった。

 本社の中枢から社員30人の子会社へ。事実上の左遷人事だった。

 当時の東レは業績が悪化し、経営再建が急務だった。佐々木さんは「会社のためには言っておかないといけない」との強い思いから、上層部に率直な意見や考えを述べていた。「直言が疎まれたのだろうか……」。さまざまな思いが頭の中を駆け巡った。

全力で家族も、仕事も

「役職定年後の前向きな変化」についてパーソル総合研究所が2017年、ミドルシニア世代に聞いたところ、「勤務時間が短くなった」(35%)、「キャリアと向き合う機会になった」(30%)「プレッシャーがなくなり、気持ちが楽に」(同)などの回答が目立ちました。子会社に「左遷」された佐々木さんには、自身も予想しなかった変化が起きました。

 全力を振り絞って、家庭と仕事に立ち向かってきた。

 妻は肝臓病とうつ病を患って、40回以上の入退院を繰り返した。妻の入院中は、毎朝5時半に起きて3人の子の弁当を作り、打ち合わせは事前に資料を配って短時間で済ますといった工夫を重ね、仕事は6時までに終え、7時に帰宅して夕食の支度をした。

 自閉症の長男が学校でいじめられたときは、同級生を自宅に呼んで障害について説明し、理解を求めた。「障害のある人を励ましたり、助けたりすることが、自分や社会を幸せにしていくんだよ」と。

 そんな生活を10年以上続け、仕事でも成果を出し、取締役に出世した。

 いつも心の中にあったのは、子どものころから聞いていた母親の言葉だった。

 佐々木さんが6歳の時、父親が結核で亡くなった。治療費で財産をほぼ失った母親は身を粉にして働き、愚痴ひとつこぼさずに4人の男の子を育てた。

ここから続き

 そんな母親が、笑顔でこう語…

この記事は有料記事です。残り1860文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら