石炭と原発に翻弄された家族 記者が歩いた故郷いわき

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大内悟史
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〈みちのものがたり〉

 福島県いわき市内を南北に貫く国道6号とその旧道は、地元では「ロッコク」と呼ばれる。同市出身の記者(45)も、何度となく通った道だ。

 雪がほぼ降らない温暖な気候から「東北のハワイ」「東北の湘南」とも言われ、観光に力を入れているエリアでもある。映画「フラガール」で知られる「スパリゾートハワイアンズ」は記者の実家から山一つ越えたところにある。

 まずは、そのハワイアンズを運営する常磐興産の前身、常磐炭礦(たんこう)などが経営していた炭鉱跡を訪ねることにした。

 途中、車窓から眺める風景は幼い頃、「何もない場所」に見えた。緑豊かで、狭い谷あいに点在する家屋。遠くには湯ノ岳(標高594メートル)などのなだらかな山々……。

 8年半前の東日本大震災。1カ月後の余震で湯ノ岳付近の断層が動き、実家は半壊。当時99歳の祖母は混乱のさなか、県外の避難先で亡くなり震災関連死と認定された。

 祖父母は若い頃、田畑を耕しながら農閑期には石炭掘りも手伝った。そんな話を本人たちから聞いたことがある。写真などは残っていないので詳細は不明だが、跡地を訪ねれば祖父母の残像を追えるかもしれない。

 山あいを抜け、常磐炭田発祥の地・内郷白水(うちごうしらみず)町周辺に入った。何枚も重ねた紙にコールタールを塗った黒い屋根が特徴的な炭鉱住宅の家並みがかろうじて残る。近くには常磐炭礦内郷礦の中央選炭工場跡の威容も見え隠れする。

 幕末にいわき市北部出身の片寄平蔵が弥勒(みろく)沢で石炭を発見。明治、大正、昭和、戦後と首都圏に石炭を供給し、本州最大の炭鉱として一時栄えた。「金坂銀座」と呼ばれた商店街、炭鉱会社がつくった学校、捨て石を積み上げたずり山(ぼた山)、鉄道跡、墓地などが往時をしのばせる。

 記録を残すために独力で「みろく沢炭砿(たんこう)資料館」を開設した渡辺為雄さん(93)はかつての石炭掘りだ。緑に覆われた周囲の山を指さし、「奥まで木は1本もなく、平地にびっしりと家や店が立ち並んでいた」と懐かしんだ。

 炭鉱は石炭の層を追って南へ南へと掘り進められた。ロッコクを南へ向かうと、ハワイアンズで知られる温泉街、湯本地区がある。JR湯本駅近くの「いわき市石炭・化石館ほるる」に立ち寄った。学芸員の渡辺文久さん(49)に聞くと、記者の実家から山間部に入ると中小の炭鉱もあり、「地元の短期アルバイトを受け入れていたのは間違いない」という。その中に、祖父母もいたのかもしれない。

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