首里城の焼失、私の心が沈むわけ 那覇育ちの36歳記者

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安田桂子
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 炎のなかに骨組みが浮かぶ。燃える首里城をテレビの画面越しに見た。ショックで、悲しかった。

 首里城のそばで育った。長く続く復元工事を見ながら学校に通い、公園が整備されてからは沿道で100円の紅芋を買ったり、定期テスト後に友達とぶらぶら寄ったりした。首里城の丘からは海に浮かぶ慶良間(けらま)諸島が見え、風が心地よかった。

 中国の強い影響をうけ、薩摩から侵攻され、沖縄戦で破壊されたふるさとを、自分たちの手で取り戻したという証しが首里城だった、と言えるのかもしれない。でも、36歳の私はそんな歴史を意識して首里城に向き合ったことはなかった。

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 じゃあ、なぜ心が沈むのかと…

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