幼少時はぜんそく…名大卒の「韋駄天少女」が五輪へ

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 東京五輪のマラソン代表を決めるマラソングランドチャンピオンシップMGC)で2位となり、五輪切符をつかんだ鈴木亜由子選手(27)=愛知県豊橋市出身、日本郵政グループ。幼少期に開花した「走る才能」に努力で磨きをかけ、一発勝負の大舞台で見事に結果を出した。

 豊橋市で約100年続く米屋で3人きょうだいの末っ子として生まれた鈴木選手。両親に目立った運動経験はなく、父伸幸さん(61)の走力は「町内会のリレー選手止まり」。伸幸さんによると、鈴木選手自身、幼い頃は体が弱かったという。ぜんそくでどこに行くにも吸入器が手放せなかった。

 陸上と出会ったのは、小学2年。土日も働いていた両親は学童保育代わりとして豊橋陸上クラブに娘を預けた。クラブで体を動かすことの楽しさをつかむと、走る才能が開花。小6の大会では1キロを3分2秒で駆け抜け、地元では「韋駄天(いだてん)少女」「F1スーパーガール」と呼ばれた。

 中学では学校に陸上部がなかったため、豊橋陸上クラブでは鈴木選手が練習できるようにと中学部を創設したほど。豊城中時代は全日本中学校陸上競技選手権大会で女子1500メートルを2、3年時に連覇。2年時には800メートルも制した。小中時代の鈴木選手を見守ってきた佐藤悦子コーチ(高校非常勤講師)は「とにかく体のばねがすごかった。才能以上に努力の天才で、こちらが用意したメニューより多く練習したり、設定タイムより速かったりしたので、余分に練習してはだめとよく伝えていた」。

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 ところが、順風満帆だったア…

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