記者が読み解く こじれた諫早湾干拓訴訟、解決の道遠く

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一條優太
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 長崎県諫早湾での国の干拓事業をめぐり、裁判が長年続いています。9月13日には関連する訴訟の判決が最高裁で言い渡されましたが、さらに福岡高裁で審理が続くことになりました。諫早湾の干拓事業にまつわる問題は、なぜここまでこじれたのでしょうか。

 九州西部にある有明海。その西側に、諫早湾は位置します。有明海では、江戸時代以前から何度も干拓が行われてきました。干拓は埋め立てとは異なり、海を堤防で閉め切って水を排出するなどして陸地にする方法です。

 いま、裁判の舞台になっている諫早湾干拓事業は、国が諫早湾の奥を長さ約7キロの「潮受け堤防」で閉め切り、農地672ヘクタールを含む870ヘクタールの土地を造り出したものです。発端は、67年前にさかのぼります。

 1952年、長崎県は「長崎大干拓構想」を発表しました。諫早湾全体の約1万ヘクタールを堤防で閉め切る壮大な構想。水田の造成が主な目的で、戦後の食糧難や、長崎県内に平野が少ないことなどが背景にありました。

 やがてコメ余りの時代を迎え、大干拓構想は時代に合わなくなります。すると、長崎県と農水省は70年代、新たな干拓の計画をつくり、目的をコメから畑地の造成や水の確保などに変えました。しかし、事業によって有明海の環境が悪くなることを心配する漁業者や市民が反対し、頓挫しました。

 それでも、農水省と長崎県はあきらめません。目的に高潮や洪水の防止を加え、89年に工事を始めたのです。

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