山梨)「武田二十四将」、500年の時を超え地域おこし

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三ツ木勝巳
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 領国を信濃、上野、駿河などに広げた武田信玄。原動力となったのが家臣団だ。中でも、名高い「武田二十四将」と呼ばれる武将たちに今、スポットが当たる。山梨県笛吹市では石和温泉を中心に、宿泊施設を二十四将の本陣に見立てた集客プロジェクトも始まった。500年の時を超え、武田二十四将が地域おこしに名乗りをあげた。

 江戸時代、名高い武将を一つの絵に収めた「武田二十四将図」が数多く描かれた。山梨県立博物館が所蔵する1枚は、上に信玄、その下に穴山信君や武田信廉(のぶかど)ら23人の武将たちが軍議をしているかのように向かい合う。

 最も若い武藤(真田)昌幸は1547年生まれで、武田勝頼が1546年生まれ。勝頼らが3~4歳の時の砥石(といし)合戦で戦死した横田高松も一緒に描かれている。実際には、この顔ぶれが絵のように一堂に会する機会はなかった。

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 江戸時代前期、武田の甲州流…

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