「女性初」刻み続けた五輪の申し子 新五輪相の橋本氏

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榊原一生
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 指には、自ら購入したという五つの輪をかたどった指輪が光る。1964年東京五輪の年に生まれ、名前は「聖火」にちなんで名付けられた。スピードスケートと自転車で夏冬計7回の五輪に出場した「五輪の申し子」、橋本聖子氏(54)が、元五輪選手として初めて、2020年東京五輪パラリンピックの開催準備を取り仕切る五輪担当相に就任した。

 五輪はスピードスケートで冬に4回出場し、1992年アルベールビル大会女子1500メートルで銅メダル。冬季五輪で日本女子初のメダリストとなった。

 さらに夏も自転車で3回出場し、計7度の出場は日本女子選手最多。現役の国会議員として96年アトランタ五輪を目指した時には「公務をおろそかにするのか」と批判も受けた。だが早朝、深夜に練習を重ねて代表を勝ち取り、睡眠時間3時間で職務を全うした。

 「日本人は体格が劣るなどと常に負ける言い訳をつくって競技をしてきた。でも誰かが突破していかないと前には進まない」。選手として、自らその壁を破り続けてきた。2006年には、不適切な経理で揺れた日本スケート連盟の混乱を受け、会長に就任。女性のメダリストが五輪競技団体の会長になるのは初めてで、同連盟にとっても初の女性会長だった。

 競技の現場にほとんど口出しはしない。ただ、一度だけ自らが主導した改革がある。スピードスケートのナショナルチーム(NT)化だ。

 14年ソチ五輪で日本スピー…

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