(小説 火の鳥 大地編)25 桜庭一樹 「地図を逆さにしたんだ」

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 夕顔さんは、目が大きく黒目がちで、ほっそりと柳腰の女性だった。ぼくをじーっとみつめて「ほっぺたになにかついてるわよ、お兄さん」と手を伸ばしてきた。「ご飯粒ね」と微笑(ほほえ)む。

 窓際の席に案内され、洋風の定食を頼む。母も姉妹も女友達も身近にいなかったので、ぼくは今の一件ですっかり舞いあがってしまい、「絶世の美女だ。ぼく、好きになってしまったよ」と呻(うめ)いた。森くんが「えっ、ごく普通の女だぞ」と驚く。保は「いやいや、美人(シャン)だ。ヨーちゃんが言うならその通りさ」とうなずいている。

 ぼくは料理の皿を運んでくる夕顔さんに聞こえないよう、小声で、

「素敵な人だ……す、す、素敵だ!」

 保と「彼女、確か広島から家出してきたって言ってたぞ。一卵性の双子で、複雑な家の事情があって」「事情って何だい」「忘れちまったなぁ……」とささやき声でやりとりする。

 と、初めはそんな会話をしていたものの、こうして若い書生が三人集まれば、やがては天下国家の議論になるのがいつものお決まりだった。

 ――我が日本は、二百年以上続く江戸幕府のもとで長らく鎖国していた。でも三十七年前の一八五三年、ペリーの黒船来航! ショックとともに、外国に門戸を開放することとなった。

 そして、イギリスなど西欧の帝国との間で、貿易、犯罪者の処罰などについて、一方的に不利な条約を結ばされてしまった。

 このころすでに、海の向こうの中国大陸では、大国である清がアヘン戦争でイギリスに惨敗し、さらに力を落としていた。東に浮かぶ小さな島国、日本も、もはや安全ではない……。そんな中、国内の争いがようやく鎮圧され、江戸幕府から天皇へと国家の統治権が渡された。

 そして、波乱含みの明治時代が始まった――。

 日本はヨーロッパの帝国に倣い、見よう見まねで近代化を進めていった。身分制度を廃止し、武士も商人もなくみんな平等とした。藩もなくし、県などに。義務教育に、産業の発展、徴兵制……。

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 まるで日本は、世界という荒…

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