生き残った鶏を父「絞めろ」 伊勢湾台風、生きるために

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高原敦
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 5千人を超す死者・行方不明者を出した伊勢湾台風から60年。明治以降最悪の台風被害は、助かった人たちの心にも大きな傷痕を残した。その後の人生を生き抜き、高齢世代に差し掛かった被災者たちには、今の世代に伝えたいことがたくさんある。

60年前に日本列島を襲った「伊勢湾台風」。全国で死者・行方不明者は5千人超。そのうち、愛知、三重、岐阜の東海3県だけで約4700人を占めました。あの夜、何が起きたのか。被災者の証言を元に再現します。

 1959年9月26日。名古屋市の隣、伊勢湾に面した愛知県飛島村の久野時男村長(72)は小学6年で伊勢湾台風に遭った。村内の家に、祖父母と両親、小3の弟、もうすぐ4歳になる妹と住んでいた。

叫ぶ祖父「堤防切れた」

 夕方ごろから雲がグルグル回り始め、強い風が吹いて、雨が降り始めた。祖父の指示で父が雨戸にかんぬきをかけ、竹で固定した。

 風雨はますます激しくなった。夜半、裏の戸を開けてじっと川を見ていた祖父が突然、「堤防が切れた」と大声で言った。あっという間に流れ込んだ濁流で畳がエレベーターのように持ち上がった。「ツシ(屋根裏部屋)に上がれ」と言われ、畳の上をピョンピョン跳んで上がった。

 暗闇の中、どんどん水が上がってくる。人の叫び声。ビューという大きな風の音。父は「流されても俺たちは離れないぞ」と言い、麻縄で子ども3人と自分をつないだ。

 夜が明けて驚いた。快晴だったが、屋根から見た村は見渡す限り、海。遺体や牛の死骸、壊れた材木が大量に浮いていた。

 干拓地が広がる飛島村は海に面した堤防が決壊し、ほぼ全域が水没。132人が犠牲になり、722戸が被災した。

家の裏手に浮く遺体

 ツシでの生活が始まった。3日ぐらい後、飼っていた鶏が2羽、奇跡的に生きていて、屋根に上ってきた。父がそれを「絞めてくれ」と言う。嫌だった。「僕も鶏もせっかく助かった命なのに」と言うと、父が「俺たち、食べていないじゃないか。近所の人にもお裾分けしよう」と言う。

 家にしょうゆのたるがあった。その中に海水を入れた。遺体が浮いていた水だ。たるに炭や石、土を入れて濾過(ろか)した。その水をかまどで沸かし、鶏を水炊きにした。だが悲しくて食べられず、吐いてしまった。それから僕は、鶏が食べられなくなった。記憶がよみがえる。悲しい。

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 数日後、舟をこいで近づいて…

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