カニの町で守られる応挙の思い 副住職が語る襖絵の魅力

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田中ゑれ奈
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 江戸時代の京都、誰も見たことのない迫真の写生画で一世を風靡(ふうび)した絵師・円山応挙(まるやまおうきょ)(1733~1795)。兵庫県の日本海側に程近いとある真言宗寺院には、晩年の応挙一門が手がけた全165面の障壁画群が残る。「応挙寺」の異名をとる、その評判のゆえんとは。大阪からJRで3時間あまり、香美町香住(かみちょうかすみ)の亀居山(かめいさん)大乗寺を訪ねた。

 香住は昨年1月放送のNHKのドラマ「女子的生活」では、志尊淳さん演じる主人公の故郷としてロケ地にもなった。

 潮風薫る香住駅のホームに降りたとたん、謎のオブジェに遭遇した。

 ぶつぶつの赤い肌に鋭利な2本の突起。傍らに添えられた「きちゃったネ…香美町」の文句が不穏だ。

 「カニ迎」と書かれた巨大なカニの下をくぐって改札を出ると、コンコースには大乗寺の襖絵(ふすまえ)を模した押し絵細工がかかる。香住はカニと応挙の町なのだ。

 駅から徒歩20分ほどで大乗寺の山門が見えてきた。

 石段を上ったところで、表玄関に正座する応挙像に出迎えられる。

 境内にたたずむ霊木のクスノキは、745年創建とされる寺とほぼ同い年の推定樹齢1200年。その根の勢いは地面を持ち上げるほどで、副住職の山岨眞應(やまそばしんのう)さん(66)は「山門がゆがんできた」と嘆息する。

下積み時代の恩返し

 大乗寺に暮らして約30年という山岨さんに「応挙寺」のいわれを聞いた。

 狩野派の技法や西洋由来の遠近法などを学び、伝統的な装飾性と写実主義を融合した独自の様式で京の画壇を席巻した応挙は、後に円山派の祖と呼ばれるようになった。大乗寺とのゆかりは京都での下積み時代、才能を見込んだ当時の住職が学費を用立てたことに始まると伝わる。

 時は流れて1787年。応挙は大乗寺と、新たに建設される客殿の障壁画制作の契約を結び、門弟12人を率いてこの大事業に臨んだ。「恩返しということで、わりと安くで請け負ったんでしょうな」と山岨さんは話す。

 11室で構成される客殿1階…

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