希林さんの死、見守った夜の空気に思う 内田也哉子さん

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聞き手・山内深紗子
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 昨年9月に75歳で亡くなった俳優の樹木希林さん。数々の作品と共に、病を得て生き、率直に死を語る姿に、多くの人が心ひかれました。母の生き様、死に様を、最も近くで見守った一人娘の内田也哉子さん(43)にとっても、その死は「大きな贈り物」だったと言います。15日の一周忌を前に、樹木さんの最期の様子や、也哉子さんが考える「夫婦」や「家族」について伺いました。

 「もう帰ろうと思う」

 最後の入院から1カ月が経とうとした時、急に母がこう言い出したんです。

 主治医の先生は「もっと悪化したら帰れない。今しかチャンスがないことが、分かったんですね」って退院を認めてくれた。準備をして、2日後に介護タクシーで自宅へ。その間、母はじいーっとしていました。動きひとつひとつが最期に向かっているようでした。

 自宅に帰った日の夜中の1時過ぎ。意識が遠のく母のベッドに家族がかけつけました。私は腰が抜けてしまいましたが、8歳だった次男・玄兎(げんと)が「大丈夫。身体がなくなっても、魂はずっとそばにいるよ」って言ってくれました。こんなに幼い子が目の前でおばあちゃんが亡くなっていくのをみて、母親を冷静に励ましてくれる。我に返りました。

 離れていた父と娘の伽羅(きゃら)も携帯のビデオ通話で「ありがとう」と声をかける。そんな中で母は息をひきとっていきました。

母の死、子どもたちの「顔つき」変えた

 母は常々、「自分の死んでいく姿を見せたい」と話していました。あの時の空気は、玄兎の出産を家族みんなで見守った時の空気とすごく似ていた。

 命と密接に向き合うこと。母の意図を理屈抜きで理解しました。どんな人にも等しく死が訪れる。自然の摂理の中に私たちはいるんだと。するとかけがえのない日々に自然と感謝の気持ちがわく。

 悲しい、寂しい、以上の人間の営みを教えてもらいました。母の死は何ものにも代えがたい大きな贈り物です。子どもたちの顔つきも変わりました。

「死ぬから」でなく「生きてたら何をしようかしら」

 母は強く1人で立っていられる人でした。最期まで本当のところ、どの程度、死に対して恐れを持っていたのかは私も分からなかった。

 病室では、「私は死ぬから」…

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