暴力に屈しない、私は踊る 弾圧越えて古典舞踊に生きる

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プノンペン=鈴木暁子
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 ポル・ポト政権下で多くの踊り手が命を落とし、一時は消えかけたカンボジアの古典舞踊。政権崩壊から40年を経て復興し、多様なメッセージを見る人に伝え始めている。(プノンペン=鈴木暁子)

消滅の危機乗り越え

 1975年。メン・コサニーさん(70)は西部ポーサット州の森の中にいた。15歳から古典舞踊を習い、宮廷舞踊団の一員として王族の前で舞踊を納めてきた。だが、極左思想のポル・ポト派が政権に就くと農村の強制収容所に送られ、黒い服を着て朝から農作業を強いられた。

 わずかな米を虫と一緒に炊いて命をつないだ。収容所できょうだい5人を失う。79年の政権崩壊後、プノンペンに戻ると、生き残った踊り手は十数人だった。

 「生きてたのね!」。路上で再会した仲間と、文化芸術省が用意したアパートに移り住んだ。当時30歳。「すでに教える側の年齢でしたが、踊り手は他にいなかった」。外国から訪問客が来ると、40代だったエム・ティエイさん(86)らとともに子どもに踊りを教え、歓迎の舞踊を披露した。

 王立芸術学院の舞踊科が81年に再開すると、10代から7歳まで約100人を集め、手の指を反らせて柔軟にすることから始め、根気よく教えた。

 古典舞踊を復活させた功績で政府の要職に就いたコサニーさんらのもとで、踊り手は600人ほど育ったという。「文化と認められず一時は死にかけた伝統舞踊が、やっと息を吹き返したのです」

暗い過去も人生の一部

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 コサニーさんに踊りを習った…

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