クーパーを復活させた日本人 きっかけは5億円のアメ車

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高橋雄大
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 イギリスが生んだ大衆車「ミニ」が26日に発売から60年を迎える。生産台数は1千万台を超えた。1980年代には製造中止のうわさもあったが、代名詞ともいえる「ミニクーパー」の復活が、今に続く人気のきっかけとなった。その立役者は1人の日本人だった。

 ミニはイギリスの自動車メーカー、ブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)のエンジニア、アレック・イシゴニス氏が「大人4人が乗れる小さな車」をコンセプトに設計した。56年に起きたスエズ危機による石油不足がきっかけだった。乗車スペースを最大化するために、エンジンの位置や駆動方式を工夫し、サスペンションにはかさばるバネの代わりに「ラバーコーン」と呼ばれるゴムを使った画期的な車だった。

 ミニの販売は59年8月26日に始まった。発売当初はそれほど売れなかったミニだが、エリザベス女王が試乗したことで流れが変わったという。65年には累計の生産台数100万台を突破。ジョン・レノン氏を始め人気絶頂のビートルズのメンバー全員がミニを所有していた。

 ミニには大まかに分けると59年から00年まで生産された「クラシックミニ」とデザインを一新して01年からBMWが生産している「新型ミニ」の2種類がある。荷室を拡大し観音開きの後部ドアが特徴の「カントリーマン」や、当初は軍用車として企画された「ミニモーク」など数多くのバリエーションがある。中でも有名なのが「ミニクーパー」だ。

 ミニクーパーは、59年と60年にモータースポーツの最高峰F1でチャンピオンとなったマシンを作ったジョン・クーパー氏開発の高性能エンジンを積んだ、ミニの高級モデル。モンテカルロラリーで優勝するなど、レースでの活躍によって人気が高まった。

 しかし70年代になると、より高性能な乗り心地の良い車が出回るようになってきた。当初は画期的だったミニも発売から時が経ち、古さが目立つようになっていく。ミニクーパーはモデル統廃合によって製造が終了。70年代中頃には排ガス規制の影響で日本への正規輸入が途絶え、80年代には生産終了のうわさも出ていた。

ミニクーパーを復活させた日本人

 80年代、時代遅れとなり生産終了のうわさが絶えなかった「ミニ」。だが、そんなミニに目を付けた1人の日本人がいた。東京都墨田区にあるミニの専門店「ミニマルヤマ」の創業者、丸山和夫さん(71)。「ミニクーパーを復活させた日本人」として知られる。

 時代はさかのぼって60年ごろ。近所の荒川で貸しボートで遊ぶのが趣味だった丸山少年。もっとボートで遊びたいと壊れたボートを購入して自ら修理。完成したボートで荒川で遊んでいると、野球やゴルフのボールがたくさん落ちていることに気づいた。これを拾い集めて河川敷で売りまくった。小学生なのに数万円の小遣いを自ら稼ぎ出していた。

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