戦中に赤紙を配った父、愛用品と一緒に残した新聞記事

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清野貴幸
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 高知県四万十町の農業中山忠愛(ただよし)さん(75)の自宅から古い新聞2部が見つかった。76年前の太平洋戦争中に発行された朝日新聞で、紙面は戦争報道で埋め尽くされている。かつて役場職員として召集令状を届ける役目を負っていたという父忠雄さんの遺品と一緒に保管されていた。

 朝日新聞大阪本社が発行した1943(昭和18)年9月8日付朝刊と翌9日付夕刊。どちらも茶色くあせている。

 4ページまである朝刊の1面トップは「敵哨戒機に體當(体当)り 輸送船團(団)を救ふ」の見出しが躍る。記事は、南太平洋方面で飛行機による輸送船団の護衛に当たっていた陸軍軍曹が、命と引き換えに窮地を救ったとして軍司令官から表彰されたことを伝えている。

 ほかにも記者による空襲の体験記、国による米の供出方法の要綱改訂、戦死した兵士の顔写真など、ほぼすべてが戦争関連の記事だ。

 表裏1枚の夕刊も1面に戦闘機の写真を大きく構え、裏面に掲載された高知市出身の漫画家横山隆一さんの4コマ漫画「フクチャン」は、題材に女性たちの勤労奉仕を取り上げている。

 今年2月、次男の忠愛さんが偶然見つけた。押し入れにあった忠雄さんの愛用品を入れた箱に、土木技師をしていた頃の測量の機械や図面と一緒に丸められた状態で入っていた。朝刊の4ページ目は神戸版になっていて、忠雄さんがどこで手に入れたのかは不明だ。

 忠雄さんは1979年、82歳で亡くなった。「なぜこんな物を残しておいたのか」。忠愛さんに心当たりはなかったが、生前に話してくれた記憶がよみがえってきた。

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