滋賀)被爆二世 母に残った体の傷、語らなかった両親

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安藤仙一朗
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 母は、暑い夏でも半袖を着なかった。いつも、襟の詰まった長袖で過ごした。

 胸元の開いたドレスで着飾ることができなかった。原爆が残した体の傷痕を隠すためだ。

 母・静子さんは、広島市生まれ。1945年8月6日、通勤途中で市内の路上にいた。熱線を浴び、左半身に大やけどを負った。

 当時17歳。皮膚の移植手術

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