新潟)都会の疎開児童を世話 竹内久夫さん(87)

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聞き手・飯塚大和
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 〈新潟県新発田市の竹内久夫さん(87)は戦時中だった12~13歳の頃、旧瀬波町(現村上市)の瀬波温泉で疎開児童の世話役をした。〉

 やせ形で身体の弱かった私には工場などでの労働は厳しく、瀬波の旅館で疎開児童の世話を命じられた。複雑な心境だったけれど、お国のために頑張るしかなかった。東京から逃げてきた国民学校3~6年の子や、県内の体の弱い子らが集められ、25人ほどが一緒に生活した。世話役は、私と40代の陸軍少尉の2人だけだった。

 〈13歳ほどの私が20人以上の子どもを支えるのは大変だった。でも、戦時下という「異常事態」だったから、年長の自分がしっかりするしかなかった。〉

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