集団脱走「死ぬためだった」 98歳元日本兵捕虜の思い

有料記事空襲1945

カウラ=小暮哲夫
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 太平洋戦争中、オーストラリア南東部カウラの捕虜収容所にいた日本軍兵士らが起こした集団脱走事件から5日で75年。98歳の元捕虜の男性が「最後の訪問」をした。当時の仲間を慰霊した男性は同時に、和解の取り組みを続けてきた豪州の人たちにも感謝した。

野球をする自由もあったが

 5日午前、カウラの日本人戦没者墓地であった追悼行事には、手を合わせる村上輝夫さん(98)=鳥取市=の姿があった。

 旧陸軍一等兵だった1944年3月、激戦のニューブリテン島(現パプアニューギニア)で米軍に捕まった。同年5月ごろに移送されたのが、シドニーから内陸に300キロのカウラの収容所だった。

 1日3回の食事があり、野球をする自由もあった。地元の歴史家グレアム・アプソープさん(67)によると、ニュージーランドから輸入した魚も食事に出された。

 44年8月4日、平穏な日々は一変する。集団脱走の計画が持ち上がったのだ。村上さんは、捕虜になって生き残るのは恥だとする日本軍の教育を信じて、脱走計画に「死ぬために賛成した」と振り返る。

 脱走は翌5日午前2時前に決…

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