太平洋戦争末期、陸軍の特別攻撃隊員だった男性がいる。8月15日の終戦で、命拾いしたと思ったのもつかの間、シベリアに抑留された。生きたいと願いながら、許されなかった仲間が何人もいた。国のために命を捨てることを強いられ、あらがえなかったあの時代の記憶を残したいと、語り始めた。
死を覚悟、していたはずが
「すべてがつらく、楽なことはなかった」。鳥谷邦武さん(92)=佐賀市=は8月3日、300人に向けしっかりとした口調で話し出した。福岡県筑前町の大刀洗平和記念館。1943年4月、16歳の鳥谷さんが陸軍飛行学校の試験に合格し、訓練を始めた大刀洗飛行場があった場所だ。
いずれ兵隊に行くなら憧れの操縦士に早くなりたかった。44年7月に基本操縦の課程を終え、戦闘機乗りとして満州(中国東北部)で防空戦の技術を磨いた。
10月、日本軍は戦局を打開しようと、航空機で敵艦に体当たりする特攻に踏み切る。広場に集合した冬のある日、隊長が告げた。「特攻をやる」。そして隊員の名前を読み上げていった。
お国のため、天皇陛下のため…
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