「バイ・アメリカン」の末… 戦闘機製造「聖地」に異変

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編集委員・佐藤武嗣
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 名古屋駅からバスで20分ほどの愛知県豊山町にある三菱重工業小牧南工場。

 水色のつなぎ、白のヘルメット姿の作業員が出入りする正門の奥には、幅150メートルはありそうな巨大な格納庫がそびえ立つ。

 ピリピリした空気が漂うが、無理もない。この工場では、航空自衛隊のF15主力戦闘機の改修、米ロッキード・マーチン社製F35戦闘機の組み立てなど、機密性の高い作業が行われている。作業員のヘルメット後部には、「F15課」などと担当する戦闘機の名前が書かれていた。

 中部地方は、零(ゼロ)戦の設計・製造など戦前から航空機産業の中心拠点だ。戦後にできたこの工場も、戦後初の国産戦闘機F1を製造。日米共同開発のF2、米国開発だがライセンス料を支払って日本で製造する「ライセンス生産」のF15など、「国内で唯一の戦闘機の完成機製造工場として日本の安全保障の一翼をになってきた」(三菱重工)。

 ところが、日本政府は昨年12月、この工場でのF35組み立てを中止し、米国から完成機を輸入すると決めた。決定は「戦闘機製造の中枢拠点」にどう波及するのか。正門の外で作業員に声をかけたが大半は「お話しできません」。そんな中で戦闘機製造に20年近く携わる30代後半の男性が語ってくれた。

米国からの武器購入額はうなぎ登り。防衛装備調達の決定過程にも「異変が起きている」と自衛隊幹部。記事の後半では、「現場」を軽視の弊害が表面化した、イージス・アショアの問題にも迫ります。

 「会社から何も情報が下りて…

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