岐阜市の旧市街地の8割が焼失し、約900人の死者が出た岐阜空襲から9日で74年。その体験を語り継ぐ会が6日、岐阜市の円徳寺であった。近所の子どもら約50人が聴き入った。
当時13歳だった宮田大輔さん(87)は「毎日のように空襲警報が鳴り、慣れてしまっていた。当日はいつもどおりの警報かと思ったら、岐阜駅の方に真っ赤な煙が上がっていた」。
目、鼻、耳を同時にふさぎながら焼夷(しょうい)弾から逃げた体験を赤裸々に語り、「花火大会を見ると、今でも焼夷(しょうい)弾を思い出す」と、戦争の記憶が脳裏に焼き付いていることを伝えた。
後藤明宣さん(84)は当時…
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