サイパン島の帰還者ら最後の慰霊へ 高齢で杖手放せず

有料記事私たちの沖縄考

岡田将平
[PR]

 太平洋戦争中、日本の統治下だったサイパン島は、75年前の1944年7月7日に陥落した。遺族らの心の痛みは戦後も続き、サイパンやテニアン島などから沖縄へ引き揚げた人たちでつくる「南洋群島帰還者会」は、慰霊墓参をしてきた。だが、高齢化に伴って参加者は減少し、50回目の今年を最後とする。

 サイパンには44年6月15日、米軍が上陸。民間の日本人は約2万人おり、「バンザイクリフ」「スーサイドクリフ」と呼ばれるようになった崖からの飛び降りも相次いだ。日本側の戦没者は軍民合わせて5万5千人に上ったとされる。

 42年時点で南洋群島の在留邦人の6割が沖縄出身者で、48年に帰還者会ができた。68年にはサイパンに「おきなわの塔」が建立され、慰霊祭を始めた。76年の三十三回忌には1千人超が参加した。

 だが、高齢化で参加者は減り、昨年は22人だった。役員も高齢となり、8月下旬の墓参を区切りとする。

 帰還者会の会長を務める那覇市の上運天(かみうんてん)賢盛(けんせい)さん(87)は、75年前の今ごろ、サイパンを逃げ回っていた。米兵が近づくと、遺体の合間に身を潜めた。遺体を見ても「かわいそう」「残酷」と思わず、「いずれ自分もこうなる」という感覚だった。

ここから続き

 68年の慰霊祭の後、ようや…

この記事は有料記事です。残り677文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら

私たちの沖縄考

私たちの沖縄考

沖縄のことは他人事ですか? いま考えたい私たちの沖縄とは。[もっと見る]