謎多き国鉄三大ミステリー、時の政府は「共産党の仕業」

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阿部峻介
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 70年前の1949年夏、東京の旧国鉄・三鷹駅で無人電車が暴走して6人が死亡した「三鷹事件」の裁判をやり直す再審の扉は開かなかった。連合国軍総司令部(GHQ)が「反共」にかじを切り、国鉄職員らが大量解雇された時代。「国鉄三大ミステリー」と称される不可解な3事件が相次ぎ、時の政府は「共産党の仕業」と主張したが、多くの謎が残されたままだ。

 戦後に日本を占領したGHQは当初、民主化・非軍事化を進めた。しかし、朝鮮半島での米ソ対立が次第に鮮明となり、中国でも共産党の勢力が増すと、日本を「アジアにおける共産主義の防波堤」と位置づける路線に転換した。

 共産党は国内でも人気を集め、49年1月の衆院選では4議席から35議席に躍進。吉田茂内閣が復員で膨れあがった官公庁の人員を整理するため、国鉄を含めて28万人以上を解雇する行政機関職員定員法を同年5月に成立させると、共産党が率いた国鉄労組は一部列車を止めるストライキを実施。GHQが止め、緊張が強まった。

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 7月に入り、労組に大量解雇…

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