おばあの明るさなぜ? ヤマトンチュの私が沖縄で考えた

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東野真和
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 両親の経営する旅館を手伝う合間、庭で三線(さんしん)を弾く。「忘れないようにしないとなあ」

 石川県珠洲(すず)市の坂本菜の花さん(20)は、沖縄のフリースクールに通った日々の体験や、見聞きした基地問題や戦争の傷痕などをまとめた「菜の花の沖縄日記」(ヘウレーカ刊)を今月出版した。

 中学の修学旅行で訪れた沖縄で、基地の多さや戦争の傷痕の深さを感じた。その一方で「つらい体験をしている人々が、どうしてこんなに明るいのか」と興味を持ち、もっと深く知りたくなった。

 中学を卒業した2015年、那覇市の「珊瑚(さんご)舎スコーレ」高等部に入学し、沖縄の伝統料理店で働きながら通った。それから3年間、北陸中日新聞に毎月「日記」を連載した。

 珊瑚舎には初等・中等・高等部の他に、「おじい」や「おばあ」が通う夜間中学がある。15年6月の日記には、沖縄で日本軍の組織的戦闘が終結したとされる6月23日の「慰霊の日」に彼らから聞いた体験談について書いた。

【動画】実家の旅館を手伝いながら沖縄について語る坂本菜の花さん=東野真和撮影

 〈「死体が自分の足をつかん…

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