「いだてん」の情熱、引き継いだ記者がいた 功績紹介も

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堀川貴弘
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 “マラソンの父”金栗四三の功績を世の中に紹介した熊本日日新聞の長谷川孝道(こうどう)さんが今年4月に亡くなった。87歳だった。

 長谷川さんは1960年、熊本日日新聞の夕刊に131回にわたって金栗の伝記を連載した。済々黌高、早大で陸上競技に取り組んだ長谷川さんは、金栗さんの熊本県玉名市にある自宅を訪ねて取材した。連載は「走れ二十五万キロ」という本にまとまり、金栗さんの生涯が広く知れ渡ることになる。NHK大河ドラマ「いだてん」のタイトルバックには現在も「資料提供 長谷川孝道」とある。

 熊本市で長谷川さんにお会いしたのは昨年10月。福岡国際マラソンの事前企画で金栗さんを特集した時だった。長谷川さんは連載当時69歳だった金栗さんの思い出を楽しそうに語ってくれた。「金栗さんは、穏やかな仏様のような印象でした。現役時代の峻烈(しゅんれつ)な姿は想像できませんでした」

 その取材で長谷川さんは1964年の東京五輪の思い出を話してくれた。都内の旅館を前線本部にして、「金栗さんは我が社の象徴というか、顧問的な感じでした」。その言葉を思い出し、私は当時の熊本日日新聞を繰ってみた。

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