新日鉄釜石、ラグビー素人集団だった 79歳OBの記憶

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嶋田圭一郎
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 日本選手権7連覇を誇り、「北の鉄人」とも呼ばれた岩手県釜石市の新日鉄釜石ラグビー部(現・釜石シーウェイブス)の土台づくりに貢献したOBが、ラグビー・ワールドカップ(W杯)の開幕を心待ちにしている。愛知県東海市の佐藤恒朗(つねお)さん(79)。W杯では、釜石市を訪ねて声援を送るつもりだ。

 「津波でやられた釜石の復興に、みなさんの頑張る力を届けて」。6月16日、東海市内で子どもラグビー大会が開かれた。大会委員長の佐藤さんは、県内各地から集まった小学生ら約350人に呼びかけた。

 盛岡市生まれ。盛岡工業高校を卒業後、1960年、社内の同好会から部に昇格したばかりの富士製鉄釜石ラグビー部に入った。

 当時の社会人最強は北九州が拠点の八幡製鉄。自身を含めて「高校の体育でかじった程度の者ばかりの素人集団」だったが、熱血漢の監督のもとで闘志を磨いた。小柄で足が速い佐藤さんは、花形ポジションのフランカーとして活躍。チームは翌年から2年連続で全国大会に進んだ。

 転機は64年。富士製鉄は鉄鋼不況で前年に全運動部を休止し、ラグビー部も国体出場を辞退した。佐藤さんは、富士製鉄と中部財界の出資でつくられていた東海製鉄(愛知県東海市)に配置転換となった。集団移転の第一陣として、従業員と家族の総勢2279人が釜石から東海市に移った。

「ラグビーはずっと一緒の友だち」

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 佐藤さんは移転後まもなく…

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