迫る最期、義母を前に揺らいだ 城戸真亜子さんの選択

有料記事あの人の介護

聞き手・水戸部六美
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 洋画家でタレントの城戸真亜子さん(57)は2年前、95歳の義母をみとりました。その経験から「最期のとき、家族は悩み、揺らぐ」と言います。いよいよのとき、どのような選択をし、どんな葛藤があったのか。伺いました。

 認知症の義母と同居して介護を始めたのは2004年です。大腿(だいたい)骨の頸部(けいぶ)骨折をしてからは、在宅生活が難しくなり、13年から特別養護老人ホーム(特養)に入居しました。その頃にはもう要介護4、5。毎年、梅雨の時期と冬に肺炎を起こして、特養の連携病院に運ばれていました。運ばれる回数は亡くなる2年前からは年4、5回になりました。

 最期の時を意識したのは、17年春です。肺炎と尿路感染になり、連携病院に運ばれました。病室で寝ている母の肌は透明感が増したようで、窓の光を浴びて妙にきれいで、人間の個体としての終着点を見ている気がしました。しかしその後、どうにか持ち直したのです。

とっさに「救命センター」

 義母の容体が急変し救命救急センターに運ばれたのは、その年の10月。特養の職員から私の携帯に電話がかかってきて、駆けつけた救急隊員が電話口で説明してくれました。目の焦点も合わないし、酸素濃度も低い、かなり危険な状態と言われ、「救命救急センターに運びますか、それとも連携病院に運びますか」と聞かれたんです。

 とっさに「そりゃあ助けてほしい。そんな状況なら救命センターだろう」と思って、「救命センターに」と言ったんです。

 車で救命救急センターに駆けつけると、救急車がひっきりなしに出入りしていて、集中治療室の中にベッドが並んでいました。何度も入院した連携病院とは違う雰囲気を感じながら待っていると、医師が出てきました。そして、「こちらの病院にいらしたということは、救命措置をしてよろしいんですね。お母様はだいぶご高齢のようですけど」と言われたんです。その時、はっとしました。

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