平和の詩「沖縄戦、終わったのか」 銃ある通学路の記憶

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聞き手・上遠野郷
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 6月23日の沖縄慰霊の日に読まれる子どもたちの「平和の詩」。沖縄戦の悲劇を受け止め、平和を訴える姿は大きな共感を呼び、年々注目度が高まっています。過去に朗読した子どもたちは、当時どんな思いで詩を書き、今はどう振り返るのでしょうか。大人になった皆さんに、話を聞きました。

     ◇

名護愛(ちか)さん(34)

フェンスの向こう側には

武装した軍人が

立っている

日差しに照らされ

汗だくの顔で

立っている

腕に持っている

銃は

誰に向けるのか

私の目は

銃を睨(にら)む

戦争はまだ

「武器」として

残っていた

(2002年「未来に向かって」から)

     ◇

「沖縄戦、本当に終わったのか」

 昨春から関東地方で生活しています。一度、沖縄の外に出て暮らしてみたいと思っていましたが、沖縄との違いを身に染みて感じています。まず日常の中で基地のフェンス横を歩いたり、米軍機の音を聞いたりすることはほとんどありません。ここには、戦争や平和のことを考えるきっかけになるものがとても少ないんだなと知りました。

 実家は、米軍基地のすぐそばでした。ゲートの前を歩いて学校に通い、空には爆音が響いていました。

 忘れられない出来事があります。2001年の米国同時多発テロの時、基地が厳戒態勢になり、ゲートでは米兵が銃を構えて警戒するようになりました。ゲート前を歩く高校生の私はただ日常を過ごしているだけなのに、銃口がこちら側に向けられる。恐怖と、違和感を覚えました。沖縄戦は本当に終わったのだろうか。

 詩は、その疑問を出発にして…

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