「1人で死ね」はやめようと書いた理由 藤田孝典さん

有料記事ひきこもりのリアル

聞き手・藤田さつき
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 川崎市で起きた児童ら20人の殺傷事件の後、「1人で死ねばいい」という言葉をめぐる論争が起きました。そのきっかけとなった記事を書いたのは、生活困難者らの支援に取り組んできたNPO法人ほっとプラス代表理事の藤田孝典さんです。「『1人で死ね』と言わないで」と呼びかけた真意を、藤田さんに聞きました。

 ――藤田さんは、事件当日の昼に「1人で死ぬべきだ、という非難は控えて」というネット記事を配信しましたね。なぜですか。

 「僕たちは年間約500件の相談を受けています。親との関係に悩んだり、精神疾患でつらい思いをしていたり。『社会は助けてくれない』と孤立感を抱え、苦しい境遇にある人たちが大半です。事件をきっかけに『1人で死ぬべきだ』というメッセージが流れると、彼らは絶望を深め、自殺に誘導されてしまうのではないか。そう懸念し、すぐに記事を書きました」

 ――無関係の人たちを犠牲にする悲惨な事件を起こした人物にも、「1人で死ねばいい」と怒ることはいけないのでしょうか。

 「僕も『1人で死ね』という怒りは自然な感情だと思います。暴力は絶対に容認できない。強い言葉で非難したいという気持ちに駆られることは、よく分かります。しかし、その感情をそのままネットやテレビなどの公共空間に流し、このような言葉が積み重なれば、社会に憎悪が広がってしまいます。孤立感を抱く人たちは『やはり社会は何もしてくれない』と追い詰められるかもしれない。『1人で死ねばいい』という言葉は、社会を分断するだけだと思います」

 ――記事に対しては、賛同する人が多かった一方で、批判の声もあがりました。

 「僕が考え込んでしまったのは、『怒りの感情に水を差してほしくない』『怒らせてほしい』という批判が多かったことでした。『被害者や遺族の気持ちを考えろ』『加害者を弁護するのか』という意見です。僕は犯罪被害者の遺族の支援もしてきましたが、ほとんどの遺族が語るのは『二度とこんな事件は起きてほしくない』『他の人に同じ悲しみを経験してほしくない』という言葉です。『1人で死ね』という言葉が、遺族を代弁するものとは思えません」

 ――藤田さんは記事の中で「次の凶行を生まないため」と書きましたが、孤立している人が追い詰められると暴力に及ぶという論理には、少し飛躍も感じます。

 「はい、僕も今回の事件は本当にレアケースだと思います。社会に絶望した人が凶行を起こすのは非常にまれです。ただ、もし今回の加害者にシンパシーを感じる人がいて、『1人で死ね』という言葉を受け取ったことで社会に不信感を募らせ、攻撃性を持たせてはいけない。そう考え、発信しようと思ったのです。しかし実際は、ひっそりと1人で命を絶ってしまう人が大半だと思います」

――なぜそう考えるようになったのですか。

 「僕がやっている社会福祉学では、すべての命が社会にとって意味がある、と考えます。いま、社会に居場所がない、生きづらいと感じている人たちは、実は社会の欠点を一番よく分かっているのではないでしょうか。だから彼らの声を聞くことは、より良い社会へと変えていくためにとても大切なのです。例えば、身体障害のある人にとって街が出かけづらい場所である時、その不便さを解消すると、みんなにとって暮らしやすい街になります。生きづらさを抱える人たちは、社会を変える主体になりうるのです。

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 こうした声を生かし社会構造…

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