すさまじい差別と孤立 ハンセン病、何が家族を壊したか

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黒坂愛衣・東北学院大准教授に聞く

 ハンセン病の強制隔離政策で塗炭の苦しみを味わったのは、患者本人だけではなかった。家族も同様だ。差別の中で、病気の肉親について語れない歳月を背負ってきた。そうした家族らが国に損害賠償を求めた訴訟の判決が28日にある。秘められた苦悩に寄り添ってきた研究者に、家族の訴えと、そこに映る日本社会の姿を聞いた。

 ハンセン病をめぐっては、1996年に患者の強制隔離を定めた「らい予防法」が廃止された。元患者らが提訴した「ハンセン病国家賠償訴訟」(国賠訴訟)で、隔離政策を憲法違反とし、国の責任を認める判決が2001年に確定。そして16年、元患者の家族らも差別など被害を受けたとして国に損害賠償と謝罪を求め、提訴した。「ハンセン病家族訴訟」の判決は28日、熊本地裁で言い渡される。裁判のきっかけとなったのが黒坂さんの本だった。

 ――ハンセン病問題との関わりはどう始まったのですか。

 「隔離の被害を検証する『検証会議』が02年にでき、調査担当の委員となった福岡安則・埼玉大学教授(現名誉教授)のもとで社会学を学ぶ大学院生の私も、聞き取りに参加しました。ゼミの活動で東京都東村山市国立療養所多磨全生園(たまぜんしょうえん)にも行きました」

 ――そこでハンセン病療養所の存在を知ったのですね。

 「私は埼玉県狭山市で育ちましたが、すぐ近くの生活圏に隔離の場所があったことは知りませんでした。在日コリアンの入所者女性に話を聞いた時、手づくりのキムチサラダがおいしくておかわりしたら、驚くほど喜ばれたんです。『私たちは外の人から汚いと言われ、一緒に手料理を食べてもらえるなんて考えられなかった』と。返す言葉がなかった。当事者はずっとここにいるのに、『外の人』の私たちは忘れてしまっている。そこで感じた『居心地の悪さ』が私の原点となりました」

たどれない家族

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 ――さらに聞き取りを重ね…

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