「もう一度、顔が見たくて」 沖縄戦、学徒の遺書を修復

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伊東聖
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 もう一度父母兄弟の顔が見たくてたまりません――。太平洋戦争末期の沖縄戦(1945年)に動員された学徒たちの遺書の修復作業が、那覇市で進んでいる。文面には勇ましい言葉も並ぶが、迫る戦火を前に少年らしい本音ものぞく。

 遺書は旧制沖縄県立第一中学校(現・首里高校)の学徒たちが書いたもの。那覇市の「一中学徒隊資料展示室」では10日、平和学習で訪れた首里高校の生徒たちを前に、解説員の大田光さん(30)が、17歳で戦死した根神屋(ねがみや)昭(あきら)さんの遺書の全文を読み上げ、こう言った。「すごく気持ちが揺れ動いているのがわかりますよね」

 県史によると、沖縄戦では旧制の師範学校と中学校計21校から、わかっているだけで14~19歳の男子が約1500人、女子が約500人動員された。この中で一中の学徒たちだけが、遺書を書き残したとされる。

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