(小説 火の鳥 大地編)15 桜庭一樹 「ぼくはな、永遠なんていらん!」

小説 火の鳥

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 調査隊一同はラクダの背に乗り、いよいよ砂漠へと出発した。

 前日、バザールに出店した幾つかの隊商(キャラバン)が、ラクダの鈴を鳴らしながら調査隊の前後を進んでいた。

 冬の朝は凍えるほど寒かった。青と白のタイルで装飾されたモスク(イスラム教の寺院)の横を抜け、樹氷に包まれた林を通って、やがて砂に覆われた地に着いた。

 そこから先は死の砂漠が広がるばかりだった。

 昼にかけ、気温がぐんぐん上がった。

 隊商が住処(すみか)の村でつぎつぎ離脱していく。夕刻になると気温が下がった。隊商はすべて姿を消し、砂の海はますます深まった。もはや生きている者は緑郎たちだけだった。

「一歩一歩、火の鳥に近づいている! もう少しだ。ぼくは、ぼくは……!」

ここから続き

 緑郎がラクダの背に揺られながらつぶやいた。するとラクダを引く現地ガイドの青年が不思議そうに緑郎の横顔を見上げた。

 四十キロ近く進んだところで野営となった。現地ガイドとマリアが協力してテントを組み立てる。正人とルイが火を起こし、肉と卵を焼く。小麦粉をこねてパンも作る。

 芳子は「ひゅう! 満天の星だぜ」と叫び、冷えこむ砂漠に大の字に寝転んだ。

 遮るものが一切なく、藍(あい)色の夜空が、三百六十度にわたって広がっている。無数の星がこの世のすべてのダイアモンドを集めたようにきらめいている。

「きれいだぜ! 誰かこいよ!」

「ほんとだな」

「ゲッ、大将がきたのかよ」

 緑郎が隣に寝転ぶので、芳子は顔をしかめた。でもすぐ屈託のない笑顔になって、

「大将、こんなにきれいだとさ、おいら、永遠に生きていられる気がするよ」

「おかしな不良娘だなぁ」

「ちぇっ、なんだい」

 緑郎はニヤニヤしたが、急に真顔になり、

「なぁ川島。ぼくはな、永遠なんていらん! 一度でいい、この世の誰より強い権力ってモンを摑(つか)んでみたいのさ。そしたらいくら早死にしたってかまわない」

 芳子が不思議そうに緑郎の横顔を見た。緑郎は「おまえにはわからんだろうな。なにしろ生まれながらの皇女さまだ」と苦笑する。

 芳子はまた星空を見上げて、

「ウ、ウン……。そんなおいらたちが、日本からも上海からも遠く離れた砂漠で、こうして一緒に星空を見上げてるとは。人生は不思議なもんだな、大将」

 二人から少し離れた場所では、テントを組み立て終わったマリアが、荷物に持たれて座りこんでいた。笛を取りだし、吹き始める。

 猿田博士が気持ちよさそうに耳を傾けて、

「美しい音色じゃな」

 マリアが演奏をやめ、顔を上げる。博士はあわてて目をそらし、

「あんたも見目麗しい女じゃ。なぁ、あんまりこっちを見んでくれんか。あんたのような佳人(チアレン)を前にすると、わしは、この醜い鼻や、美というものに縁のなかった人生が、ひどく辛(つら)くなってしまうんじゃ!」

「あなたは醜くありません、博士!」

 とマリアがびっくりしたように答える。猿田博士は強く首を振って、

「いいや、わしは醜い! とてつもなくな! なぁマリアさん、わしは今の間久部くんほど若いころ、一人の女に恋をした。だが彼女は他の男のものになった。わしは絶望し、自分には科学があると、研究室にこもった。そしてある日……」

 と遠い目をしてつぶやいた。

「火の鳥の未知のホルモンを発見したんじゃ」

 マリアは「あぁ、そうだったのですか……」とうなずいた。二人は数秒みつめあった。それからマリアはしみじみと、

「あなたもずっと孤独なのですね、猿田博士……。わたしも同じですよ。わたしにはかつて恋人が、いえ、夫がいました。でも敵国が攻めてきて戦争になり、死んでしまいました。それは婚礼の夜のことでした……」

「なんとまぁ。砂漠の佳人も過酷な運命を生きておるのじゃな」

「ええ……。夫はわたしの弟でした。名はウルス。優しく勇敢なすばらしい男でしたよ……」

 猿田博士は「弟?」と聞き返した。それから合点がいったというようにうなずき、

「それじゃ、やはりあんたは拝火教信者なんじゃな。火を信仰する古代教、別名ゾロアスター教では兄弟間の婚姻が許されておる。マリアさん、あんた今朝、死んだ小動物を鳥に食べさせようとしたじゃろう。あれを見てピンときたんじゃ。拝火教には鳥葬の習慣があるからな」

「ええ、その通りですよ」

「古代の信仰とはいえ、ユーラシア大陸の奥地にはまだ残っていると噂(うわさ)を聞いていた。それじゃあんたはずいぶん古い由緒ある国の住人なんじゃな」

 マリアはうなずいた。それからまた笛を口につけ、そっと吹き始めた。博士が目を閉じて聴き始める。

 星降る砂漠にたえなる音色が広がっていった。

 

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 砂漠を行く過酷な旅は続いた。

 朝は砂山が日光で真っ赤に染まった。風が強く吹くたび砂の文様がどんどん変わっていった。昼は暑く、夕刻とともに極寒となった。タマリスクの木が密生するオアシスや、小さな井戸(カレーズ)で水を補給する。一休みしては、また進む。

 疲れのため会話がなくなる。昼も夜もただラクダの鈴がチリーン、チリーン……と響くだけになった。

 緑郎だけが、時折ブツブツと「もう少しだ。火の鳥の力を手に入れる……」と独り言を繰り返した。

 そして何日経ったか。

「おい! あれを見ろ。水だ、一面の水だぞ!」

 緑郎の声に、一同はラクダを停(と)めた。

 遠くにきらめく水面が見えた。正人が「やぁ、きれいだな」と、芳子が「ほんとに着いたのかい。蜃気楼(しんきろう)じゃないだろうね」と声を上げる。

 調査隊一同は、ラクダの背に揺られて湖に近づいていった。

 砂漠の真ん中に突如現れた大きな湖だった。砂混じりの白い水が輝いている。水音が気持ちよく響く。サーッと吹く風まで水気を帯びて心地よかった。

 だが……。

 緑郎が顔色を変え、「い、生き物はどこだ? 未知のホルモンの影響を受けた植物は? 長寿と噂される動物は? 伝説の火の鳥は?」と叫んだ。

 湖の周りにはなぜか植物もあまりなく、鳥や動物などの気配もない。

 緑郎はラクダの背から飛び降り、

「火の鳥よ! どこだ? 湖にいるんじゃないのか。ぼくだ。この間久部緑郎が貴様に会いにきたぞ。どこだ、どこにいる!」

 と辺りを走り回った。

 そこに、ロバに荷車を牽(ひ)かせたウイグル族の男が通りかかった。湖の水をロバに飲ませ始める。

 緑郎は血走った目でマリアを睨(にら)み、拳銃を突きつけて「あの男に話を聞いてこい」と命じた。

 するとマリアはなぜか、首元のスカーフを頭に巻き直して顔をしっかり隠した。

 ウイグル族の男に質問し、緑郎たちに通訳する。

「少佐、この湖はタリム河から流れる水の勢いによって数年ごとに場所が変わるそうです。そのたび、木や草は水底に沈んだり枯れたりしてしまいます。ですが、不思議と湖のそばに新しい木がどんどん茂る。湖には命の源となる強い力があるからだ、と」

「そうだ! それこそ、我々の求める未知のホルモンの力だ。し、しかし、見たところ……」

「ところが去年、急にその力が消えました。植物もあまり茂らなくなり、ロプノールは突如としてごく普通の湖になった。湖畔にある“年を取らない都”からも人間が煙のように消え、廃墟(はいきょ)になったと……」

     ◇

 〈あらすじ〉 真冬の上海を出発し、南京や重慶、成都を経て、ウイグル族が多く住むウルムチに到着した火の鳥調査隊。この地域出身のマリアは砂漠に入るため、ラクダなどの準備を進める。一方緑郎は、彼をよく知るようなそぶりを見せるマリアの正体をいぶかしんでいた。

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