(ナガサキノート)愛するお母さん、バケツの中の骨に

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森本類・32歳
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岩永勝利さん(1936年生まれ)

 あの時死んでいたら、お母さんのところに行けたのに――。岩永勝利(いわながかつとし)さん(83)=長崎市辻町=は今でも、そう考えることがある。

 9歳の時、爆心地から1・8キロの本原町(現・辻町)で被爆。自らは首を痛めたが、大きなけがはせずに済んだ。だが、原爆で母のハツエさんと弟の三則(みつのり)さんを亡くした。

 母の顔は覚えていない。結核を患い、岩永さんが幼い頃から入院していたからだ。母は市内の病院で被爆したようで、数日後に父が骨をバケツに入れて持ち帰った。どのような最期を遂げたのか、岩永さんは知らない。

 母を失ったことは「戦争以上の苦しみ」だったという。原爆を落とされた8月9日よりも、母の死を知った時のほうが精神的な打撃は大きかったと、岩永さんは話す。

 「原爆の怖さよりも、孤独になったこと。それが一番の悩みでしたね」。夜空を見上げて、「あの星がお母さんかもしれない」と考えたこともある。誰よりも大切な存在を奪い取ったもの。それが原爆だった。

 岩永さんは4人きょうだいの…

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