神経難病で目の前が青色の世界に それでも続けた料理

有料記事患者を生きる

後藤一也
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【まとめて読む】患者を生きる・食べる「色の区別つかない」

大阪府特別支援学校で教員をする谷口順子(たにぐちじゅんこ)さん(44)は、神経の難病「多発性硬化症」になり、1年間にわたって見える世界すべて青くなってしまいました。色が見分けられなくなり、食欲がわかなくなり、料理や食材選びにも困りました。

不調重なり次第に視力も

 大阪府の特別支援学校教員、谷口順子さん(44)は5年前、連日会社訪問を続けていた。進路担当として、一人でも多くの生徒に希望した職場で長く働いてもらうために必死だった。

 2014年4月、就労を支援する社会福祉法人を訪ねた時のことだった。「あれ、私ろれつが回っていない?」。生徒の性格や能力を担当者に伝える大事な場なのに、一文字ずつはっきり話せていない感じがした。

 自宅では、手に取った物を落とした。それを見た母恵美(えみ)さん(71)から「おかしいよ。しゃべれてないし。あした病院に行き」と言われた。そう言われてみると、ここ数日、体に異変があることを思い出した。水を飲んでも口から「プシュッ」と吐き出したり、尿意はあるのに出なかったりした。

 5月1日、近くのクリニックを受診した。いすに座って自分の状態を説明しようとしたが、医師から「もういいです。体が左に傾いている。すぐ家の人を呼んでください」と言われた。救急車に乗せられ、そのまま大阪市内の病院に運ばれた。

 対応した、神経内科の神吉理枝(かんきりえ)医師(58)=現・西宮協立脳神経外科病院=から「ゴールデンウィークやけど、入院してもらうね」と言われた。仕事で相当疲れがたまっていた。休めることに少しほっとした。

 だが、症状は深刻だった。脳をMRIで調べると、大脳白質や脳幹部に炎症によるものと思われる「病変」が見つかった。入院して3日後、まず右目の視野が欠けた。日がたつにつれ、左目の視野もどんどん狭くなっていった。

 神吉さんは病室の窓から見える風景を指さし、「きょうはどこまで看板が見えますか」と尋ねてきた。「この前見えたあの看板はもう見えません」。ついには目の前全体がグレーの世界になり、ほとんど何も見えなくなっていった。

 一人で食事ができなくなった。看護師の手助けが必要になった。「ここにご飯があります。これはおかずです」。看護師に導かれて一つずつ食器をさわり、どこに何が置かれているかを教わった。食べ残しがないかどうか、手で触って確認した。

見えたのは「青の世界」

 大阪府の特別支援学校教員…

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