「どちらの政府なのか」 決断迫られた日米地位協定改定

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上遠野郷
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自民党総裁 河野洋平さん(82)

 1995年のことです。沖縄で少女が米兵に暴行される事件が起きました。それだけでも衝撃的でしたが、加えて、容疑者の米兵が特定されたのに、起訴するまで身柄が日本側に引き渡されない。日米地位協定に基づく運用でしたが、沖縄県民の怒りは爆発し、地位協定の改定を求める声が一気に高まりました。

 「議論が走り過ぎている」。当時の大田昌秀知事に対し、外相の私がそう答えると、「どちらの政府なのか」と迫られました。それでも、地位協定の改定には踏み込みませんでした。

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