心臓病の父、自分の判断ミスで死なせた 外科医の心残り

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聞き手・上野創
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おやじのせなか)心臓外科医・天野篤さん

 心臓を患った父を、私の判断ミスから死なせてしまったという思いが長く心にありました。私が心臓外科医になり、がむしゃらに仕事をし、今も執刀を続けているのは、父のことがあったからです。

あまの・あつし

1955年、埼玉県生まれ。日大医学部卒業後、心臓外科の道へ。2002年、順天堂大医学部心臓血管外科教授に就任し、12年2月、東大との合同チームで当時の天皇陛下(上皇さま)の冠動脈バイパス手術の執刀医を務めた。

 燃料商だった父は、急な注文が入ると灯油やプロパンガスのボンベを軽トラで配達していました。50キロもあるボンベを手際よく転がしながら運ぶ様子を、私は子どもの頃、助手席で見てきました。

 休みの日や正月でも、頼まれれば困っている人のために働く。相手を見て態度を変えるようなことはしない。そんな姿を見て、自分も世の中の役に立つ仕事をしたいと思うようになったんです。

 ところが私が小学校高学年のころ、父は病気がちになり、その後、心臓弁膜症と診断されました。「父のために」という思いもあって医学部をめざしたものの、不合格が続き、3浪して日大医学部に入学。大変な中、父は必要なお金を工面してくれました。

 私の大学在学中、父は52歳で僧帽弁置換術の手術を受けました。元気になったけれど、いずれ弁の交換が必要になる。ならば心臓外科へ進もうと決めました。

 約10年後の弁交換の手術は…

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