あの日、公民館で 朝が来て水が引けば帰れると思ってた

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編集委員・石橋英昭
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 震災からの街再建を進めてきた宮城県名取市閖上地区が26日、まちびらきを迎える。津波で住民の1割以上が犠牲になった反省の上に、かさ上げされた新しい市街地は築かれた。8年2カ月前のあの日、この場所で起きたことを、二度と繰り返さぬように――。

 閖上公民館は街の中心にあった。2階建て、海からの距離は1・2キロ。指定避難場所になっていた。

 当時の公民館長は、閖上で生まれ育ち、2年前まで閖上中校長だった恵美(えみ)雅信さん(71)だ。強い揺れの後、避難してきた元教え子の女子高生から「ラジオで午後3時10分に津波が来ると言っている」と聞かされ、グラウンドにいた人たちに2階に上がるよう、声をかけた。

 だが、その時刻を過ぎても何も起きない。

 避難放送を伝えるはずの防災行政無線は、沈黙したままだ。地震による故障のためだったが、人々は知る由もない。「貞山堀の陸側に津波は来ない」と思い込んでいる人も少なくなかった。恵美さんも「やっぱり」と思い始めた頃――。

 消防団員とみられる男性が「大津波が来る。公民館はもたないので閖上中に避難させて」と告げに来た。恵美さんは今度は、約500メートル内陸の中学校への「再避難」を呼びかけた。

 後に市が設けた第三者検証委員会の調査によると、この呼びかけは午後3時20分~40分ごろ。恵美さん以外にも、複数の人が断続的に再避難を促していた。人々は三々五々移動を始めたが、まだ緊迫感はない。中学生数人がグラウンドでボールを蹴っていた。残っておしゃべりをする人もいた。

 午後3時50分すぎ。

 海側の住宅街から、煙らしき…

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