がん政策の第一人者、妻の闘病に見た奇跡 治療の未来は

有料記事がんとともに

聞き手・辻外記子
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 年間100万人が新たに診断され、2人に1人が生涯のうちにかかる「がん」。平成が始まったころは、本人に告知しないこともあったが、治療の進歩もあり、隠さない時代になりつつある。いずれ、がんを克服できる時代が来るのか。日本のがん政策を動かしてきた国立がん研究センター名誉総長の垣添忠生さん(78)に聞いた。

 ――上皇さま前立腺がん手術を2003年に担当されました。

 「上皇ご夫妻に病状や手術の内容をご説明すると、上皇さまは『自分の病態は包み隠さず国民に伝えてほしい』とおっしゃり、我々はそのお言葉通りにしました。動揺したご様子は感じられず、サイエンティストとして冷静に受け止められていました。理性的なご対応をありがたく思いました」

 ――一方で、昭和天皇のがんは公表されませんでした。

 「患者にがんの病名を伝えることは、1980年代後半まで一般的ではありませんでした。胃がんなのに、胃潰瘍(かいよう)や十二指腸潰瘍と偽って手術をすることも珍しくなかったのです。しかし次第にがんは治る病気になり、治療後に社会復帰する人が増えました。私自身も大腸がんと腎臓がんを経験しています。治る時代に近づいたからこそ、『がんを隠さない』ようになってきたと言えます」

 ――でも今も、自身のがんを公表できない人は大勢います。

 「確かにそうです。イベントでカメラを向けると『顔を写さないで』と頼まれることがあります。『死に至る病』という過去のイメージをひきずり、偏見や差別への恐れが残っているのでしょう。一方で、競泳女子の池江璃花子選手が白血病を公表すると、国民がこぞって応援する雰囲気になりました。平成の間に、一人ひとりが病名を明らかにすることで社会は少しずつ変わってきました。今後も隠す人は減っていくでしょう」

垣添さんは07年に妻を三つ目のがんで亡くしました。3日間泣いて暮らし、3カ月間は酒びたりの生活だったそうです。どうやって乗り越えたのか、後半で語ります。

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 ――池江選手も「治る」と思…

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